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僕とブログと言葉について


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■ニューヨークに来ています。

HAHAHA。どーも。こちらは朝です。いやー、来るまではてっきりトランプさんのあれやこれやで話題は持ちきりかと思いましたが、さすがニューヨーカー。切り替えが早いというか、もはやそんな話題はほとんど出ませんね。

 

嘘です。おばんです。

 

いや、なんか冒頭の写真が(私の思う)ニューヨークっぽかったので、つい嘘をつきました。悪気はありません。反省はしてません。

 

■何のために書くのか。

ここ最近、「このブログは何のために書いてるのか」を考えることがありまして。

 

はて、何でかな・・・と思いつつ、とりあえず感じたのは「自分が楽しいから」。僕は別にこのブログでマーケティングをしたいわけではないし、何かを売りたいわけでもない。

 

強いて言えば、「このおじさんに、何かコラムでも依頼してみようか」というオーダーがあればうれしいな、とは思うけれど。

 

あ、流れなんで書いときますが、原稿執筆、お受けします。聞き書き(インタビューからの原稿執筆)、ブログ代筆、コラムなどなど、お問い合わせくださいな(宣伝)。

 

宣伝もしたし、今日のブログはここまで・・・というわけにも行かんか。

 

あと、自分なりにアタマの中身を取り出して、確認する作業、という意味合いもあります。

 

■ブログを書いててうれしいとき

これはいくつかあって。まず、「自分が書きたいことを過不足なく書けたとき。僕はこのブログを、文章鍛錬の場とも考えているので、そういう意味でこれはうれしい。

 

次に、自分が「この人に伝われ」と思って書いたことが、ドンズバでその人に届いたと分かったとき。

 

これも当然ながら、うれしい。ブログへのコメントや会ったときの言葉で、あ、この人にあの記事は伝わったなと、僕が思うこともあれば、向こうから言ってきてくれることもある。

 

これは、僕にとってブログを続ける最大のモチベーションに近い。

 

最後に、特に誰に当てた訳でもない、あるいは、そのひとに当てた訳ではない文が、思わぬ誰かに届いたとき、ということもある。

 

これは正直、「届いた!」と分かることもあれば、分からないこともある。ただ、そういう実感を得ることは確かにある。本当にうれしい。

 

■言葉は刃物のようなもの

自分が書いた言葉が、予想外のところで、予想外の人に届いたり、響いたりする。コレは本当に不思議だし、うれしいことだ。

 

だからこそ、言葉は刃物のようなものだ、とも思うことにしている。何かを切ったり、削ったり、適切に使えば有用だけれど、振り回すと危ない。人や自分を傷付けることになりかねない。

 

そんなことを考えています。