記憶力がよろしくないことからの諸々

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■おばんです。

Mr.鳥アタマを自称するくらいには、記憶力が良くない。昨日の昼飯がなんだったか、覚えてるかどうか怪しい。

 

それならまだしも、昼飯に唐揚げ定食を食べたのに、夜また唐揚げを食べようとするくらいには記憶力に乏しい(もしくは、唐揚げが大好き)。

 

だから、子どもの頃の思い出とか、面白エピソードなんかを話せる人を見ると感心する。「面白いから」というよりは(もちろんそれもあるけれど)、「良く覚えてるなぁ」という感心である。

 

■思い出せない~ことば~か~り~ある~の~

昔住んでたアパートの場所はさすがに覚えてるけど、何階の何号室だったかが思い出せない。

 

高校ですら、クラスメイトに会って、名前やあだ名をサッと思い出せる自信がない。

 

実際、ちょっと前に小・中学校の同級生と飲んだとき、「オレ、同じ中学校だっけ?」と言ってたら三年の時同じクラスだった、ということすらある。

 

ときどき子どもの頃の思い出を探ってみるのだけれど、正直な話、うまく思い出せない。小さい頃に好きだったオモチャだとか、こんなことあったよねー的なこととか。

 

昔好きだった女の子の名前すら思い出せなかった時には、さすがに愕然とした。まあ良いけど。

 

■感情の起伏が乏しい

家人に「何か良いこととか、嬉しいことがあって、嬉しくて人に話したくてしょうがない、なんてことある?」と聞かれたことがある。そういう、喜びを爆発させることがないようにみえるらしい。

 

実際、ない。当然ながら、僕にだって嬉しいことはあるし、喜ぶこともある。でも、「聞いて聞いて、こんな良いことがあったんだー!ウホー」的な表現をすることは、ほぼない。

 

少なくとも、ウホーに関しては過去一度もない。

 

いや、嬉しいし、喜んでるんだけど、それをウワーッと外に出す、ということがない。

 

と。ここまで来て「オイオイ、さっきの記憶力がない話とこの話、どう繋がんねん」と思ってる人がいるはず。これが僕の中では、バッチリ繋がるんである。

 

■記憶と感情は結び付いている

「記憶」は「感情」と強く結び付いている、と言われている。喜怒哀楽に関わる記憶は、強く残る。

 

逆もまた真なり、ではないかと僕は読んでいる。感情の起伏が小さいと、記憶にもあまり残らない。要するに、僕の記憶力の無さは、「感情が大きく動いていない」ことに起因するんじゃないのか?

 

僕は別に特別冷酷なわけではないと(自分では)思う。映画を観れば人並みに泣くし、ジャイアンの傍若無人ぶりには憤怒する(大げさ)。

 

でも確かに、感情の波が大きいか、激しいかと言われると、そうでもないかもなぁ、と思う。


■じゃあ、どーすんの?という話

もちろん、その瞬間瞬間は、いろいろな感情をキチンと感じているのである。

 

ああ、楽しいなとか、嬉しいなとか、イヤだなとか、悲しいなとか。ただ、それがどれほどの深さか、というと・・・自分ではよく分からない。

 

ただまあ、どうやっても他人にはなれないし、今から「感情をディープに感じるトレーニングをします」とか言うと、かなりキケンな感じがする(色々な意味で)。

 

こういう性格、もしくは脳回路(?)のおかげで、記憶力は悪いけれど、負の感情が長く続いてしまうことも少ない。怒りや悲しみも、そんなに長続きはしない方だ。

 

だから、これはこれでまあ、いいところもあるよなぁ、と思う。

 

逆に「感情の起伏が激しくて」という人を、僕は羨ましく思う。あなたはそれだけ人生を深く、豊かに味わえているではないですか!と言いたい。

 

特に、子どもたちに言いたいやね。笑って泣いて怒って悲しがって寂しくなって不機嫌になってまた笑うのが、人間だ。

 

どうかね?