長く物事を続けることのデメリットとメリット

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■あるよね、あるよ、と思う。

物事が長く続くと、良くも悪くも「それ前提」で考える回路が出来上がる。例えが適当かどうか分からないけれど、『ちびまる子ちゃん』。アニメ版の方ね。

 

僕らはもう、日曜日の18時からのフジテレビは『ちびまる子ちゃん』、18時半からは『サザエさん』を放送しているもの、と認識している。

 

サザエさん』は僕が物心つく前からやってるから別格としても、放送開始当時を知ってる『ちびまる子ちゃん』ですら、既に「当たり前感」が出始めている。

 

例えば、『ちびまる子ちゃん』以前、フジテレビで日曜18時に何を放送してた?と聞かれて、パッと思い出せる人は少ないはず。それだけ、その前提が染み込んでいる。

 

これは、良くも悪くもない。人間は「そういうもん」だ。

 

■問い続けよう、自分に

僕らにフジテレビの編成権はないし、「笑点」の司会を小朝師匠に替えることもできない。太陽を西から登らせることも、東に沈ませることも、今のところ不可能だ。その他に関してはともかく、太陽に関してはたぶんこの先も当分無理だろう。

 

だからこそ、自分で変えられることについては「ほんとにそれで良いの?」と、常に自分に問い掛け続けたいと思う。自分の習慣や考え方は変えられる。今のところ「コレがベスト!」と思っていても「いやいや、コレもあるかも?」と考えてみる柔軟さは持ち続けたい。

 

結果、「いろいろ試してみた結果、これが今のところのベストなんですよねぇ」というくらいに落ち着くのが、心地良い感じがしているのです。

 

■逆に、ではないけれども。

物事を長く続けるメリットも、もちろんある。パッと思いつくことで言えば、最初はシンドイなぁと思っても、続けているうちに、何となく「まあ、別にフツーですよ」と感じられるようになること。

 

別に、どーしてもイヤなことは、続けなくても良いと思う。それがどーしてもイヤでイヤでたまらないのなら。

 

糸井重里という人は、多分世の中的には賛否両論ある人だろうと思う。いや、賛否両論ない人なんてこの世にはいないな。たいていの人は賛否両論ある人だわな。えーと。何の話だ。そう。糸井重里。僕は割と彼の言ったりやったりすることは好きだ(ジャイアンツファンなのはいただけないけれど、プロ野球全体への愛も感じるしね)。で、イトイさんは仕事について、こんなことを言っている。

 

ワクワクすることが見つからない人には、ひとつだけアドバイスがある。「絶対にやりたくないことからは逃げる」と心に決めること。

 

ほうほう。なるほどね。でも、興味深いのは、実はここからだったりする。

 

これは逆説でもあって、「絶対に」が付かない程度の、文句を言いながらやれることなら、逃げずにやり遂げろということ。そうしているうちにワクワクが見つかるから。

 糸井重里の仕事論「絶対にやりたくないことからは逃げる」 〈AERA〉|dot.ドット 朝日新聞出版 

 

僕も今まで、いろいろなことから逃げてきた。でも、文句を言いつつも、続けてきたこともある。確かに、それが今の僕を形作っているようにも感じる。

 

「やりたいことだけやる」というのも、大いに結構。でも、「やりたいこと」の中に微量の「やりたくないこと」が含まれることもある。そんなときはどーする?という話もある。

 

おっと。この続きは、長くなったからまた今度。