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大きなことを小さく考える


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■肩こリストの独り言

昔は肩こりとは無縁だったし、何それ美味しいの?と思っていたし、説明を聞いてもピンとこないなと思っていたのです。

 

しかし、実際に自分がなってみると、なるほど説明しがたいものではありますよね。

 

「痛いの?」
「んまぁ、痛いっていうか・・・」
「重たくなる感じ?」
「それもあるんだけど、ねぇ」
「ゴリゴリする?」
「当たらずとも遠からずっていうか」
「じゃあ何なん?」
「うーん、肩こりとしか言いようがない」

 

みたいな。

 

■不快感を分解してみる

そこで「私は肩こりなのだッ」と頑なに思ってしまうと、まあ、肩こり確定ということになるかなと。

 

いや、症状としては既にあるんだから、肩こりでしょ?と思われるかもしれませんが、そうとも言えるし、そうではないとも言える。

 

先日、小池龍之介さんの『「自分」から自由になる沈黙入門』という本を読みまして。

 

 

「自分」から自由になる沈黙入門

「自分」から自由になる沈黙入門

 

 

この本によれば、きっとこんなブログを書くなんてのも、自己愛の表れだといわれるのでしょうが、それはさておき。

 

面白いなぁと思ったのが、「不快な感情」を分解してみよう、という考え方(概要)。

 

漠然と「不快感」を捉えると、取り扱いが難しくなってしまう。そこ止まりになる。そこで、その対象を「見つめる」、「解剖してみる」という考え方です。

 

■不快感の中に何があるか

例えば、何か腹立たしいことがあったときに「腹立つ」をそのまんまで受け止めると、とにかく腹立つ!となる。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いシステムになる。改めて考えると、ムチャクチャだけど。

 

そこで、腹立つ感情の中にはどんなものが含まれているのかを分析してみてはいかが?と。

 

腹立たしい出来事の中にも、よくよく分解してみると「これはそうでもないな」とか「ここはまぁ、エエやないか」とか「むしろ、この部分に限っては喜ばしいことなんじゃないか」なーんてことに氣付けるかもしれない。

 

そして、そうやって分解して見ていくと、不快感が消えていく、というのが小池さん(というか仏教)の見解であると。

 

何か大きな物を、大きなままとらえようとすると、掴みどころがなくて漠然と捉えてしまう。結果、「何となくイヤだ」、「何となく大変そう」と感じて、ますますイヤになることもある。

 

でも、小さく切り分けていくと、輪郭や取っ掛かりが見えてくる。そうすると、解決の糸口が見えてきたり、そもそも問題なんかなかった!と思うことすらある。

 

そういうことってありますよねぇ。