20170124_人と自分を「比べる」ことについて

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photo by chisako abe 

 

 

■こんなん、まだ残ってたのか。

「あー、自分は意外とそんなことを考えていたのか!」と思って、愕然としたり、うわーっとなったり。

 

まあ要するに、どちらかというとあまり良い気持にならないとき、というのがあります。

 

でも、それもこれも自分由来のものなので、人に当たるわけにもいかないし、まあ、自分でどうにかする以外に仕方がない。

 

言ってみれば「自己嫌悪」みたいなもんですか。でもまあ、意味のない自己嫌悪ではなくて、自分の潜在意識の中に「あー、そういうの、まだ残ってたんだなー」という感じ。

 

■「よそはよそ、うちはうち」システムなのに

最近出てきたので言うと、無意識のうちに、何かと何か、特に自分と人とを「比べてる」自分を発見したこと。

 

例えば、Aさんはこないだ課長になったのに自分はまだ平社員のまま、とか。

 

あの人は高級車に乘ってるのに自分はベンツ(の路線バス)に乗ってる、とか。

 

自分よりも、あの人の方が給料たくさんもらってる、とかね。

 

自分よりも、あの人の方が仕事が早いとか。あの人はなんであんなにモテてるのに、自分は全くモテないんだ!とかとか。色々ある。

 

むろん、「人間」て書くくらいなわけで、人は人の間で生きていくものなんだろうと思う。そうなれば、どこかで「差」や「違い」を認識せざるを得なくなってくる。みんな同じ人間だよね~と言ってみても、当然ながら違いはある。

 

僕個人としては、人と自分を比較してどうこうしたい、という希望はない。むしろしたくない。

 

■「比べる」のは、自分を「甘やかしたい」から

そういう「比べる意識」はきっと、「自分をよく見せたい、よく見られたい」という欲求、あるいは、人と自分とを比べて「自分の方が○○だ」と思うことで、自分を甘やかしたいんだろう、と思う。

 

「自分と人とを比べて、人の方が良く見えると思う時はどうなんだ」と思われるかもしれませんけど、それもたぶん、甘やかしの一環でして。

 

「あの人の方が○○で・・・」と言ってる時も、実は心のどこかで「いや、私の方が○○だし」とか「○○だけが全てじゃないし」とか思ってるかもしれない。

 

あるいは人から「あなたの方が○○ですよ」と言ってもらえるんじゃないか・・・みたいな期待もあるかもしれない。

 

あくまでも無意識で、の話ですけども。

 

■ 自分の理想に向かって走れ(主に自分に向けて書いてる)

これは自戒も込めて書くのですが、自分のありたい姿、自分の理想だけを100%見つめて、それに向かって進んでいれば、人のことなんて氣にならないはず、なのです。だって、自分の理想だけを見れば良いのだから。

 

「比べる」ということは、相対評価をしているということ。自分の理想と向き合っている状態ではありませんよね。

 

つまり、自分の理想に向かって進むことを拒否して、相対評価の中に自分を置こうとしてる、ということ。

 

相対評価は、楽です。だって、人と比べて1点でも上回っていれば、勝ちなんだもの。

 

自分が本当に理想とする姿でなくても、「あの人に勝ったから、良いか」と満足してしまう危険性もはらんでる。

 

もう一度言いますが、自分の理想に向き合っていれば、人と自分とを比べて、喜ぶことも悲観することもない。

 

僕は人と比べてる自分を見つけて、「ここからまたまだ良くなっていくんだなや」と、嬉しくなった次第。

 

もう、しばらくは大丈夫です。自分の理想を見続けて、走ります。