20170122_見たい世界を生きる

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■「よそはよそ、うちはうち」システム

久しぶり、でもないけれど、ここ最近イライラすることが多かったのです。特に人に対して。

 

僕は「よそはよそ、うちはうち」システムを採用しており、人のことは基本的にどーでもいい。どーでもいい、というと冷たく聞こえるのならば「お好きなようになさってください」という感じ。変わらんか。

 

こう言っちゃ身も蓋もないけれど、結局のところ、その人の人生はその人が選んでいるわけで、僕がどうこう立ち入ったことを言うような立場にはない。だから、あなたがそれで良いのなら、それでエエやん、と思う。

 

■ところがどっこいだ

最近、他人の言動を見て、イライラしたり、腹が立ったりすることが続いた。おやおや、「よそはよそ、うちはうち」システムを採用してるのになぁ、と思って、どうしてそうなった?と考えてみた。

 

んだけれど、よくわからない。何となく、「人を批判するエネルギー」や「自分をよく見せたいエネルギー」みたいなものに拒否反応を起こしているようなのだけれど、それにしても良くわからない。

 

うーむ。と思って、少しほっといた(ほっとくと氣にならなくなるのは、僕の特殊技能の一つだと思ってる)。

 

そうしたところ、斜め上から解決策がやってきた。

 

■「許容し合える世界」で生きる

僕はいま、「リターンスクール」なる講座に通っていて、そこで「自分が理想とする世界、見たい世界」について話していた。

 

そこで僕は「多様性を認め合える世界、許容し合える世界」が理想だなと思って、そういう話をした。と、同時に、人に対してイライラしている現状についても話した。

 

そうしたところ、「原因を探ってみるよりも、自分が理想とする世界を生きた方が早いんじゃない?」という意見をもらった。

 

確かに「自分が、なぜその人の言動にイライラするのか」を考えてみても、その人を変えることはできないし、じゃあ、自分がガマンすりゃいいか、というとそれも違う氣がする。

 

となると、自分が「許容し合える社会」を理想として、見ているのならば、「なるほど、この人の世界はそういう世界なのね」と許容すればいい。その人に対する判断、ジャッジを入れずに「なるほどね」と認める。

 

それは、「自分がガマンする」こととは違う。ガマンするということは、自分が正しい(あるいは、自分なりの理想がある)のに、それを抑えてる状態。

 

でも、ここで出たのは「その違いも許容しよう」ということ。そこに正しいも間違いもなくて、「ただ、そう」なだけ。

 

もちろん、すぐにその地平にたどり着けるかどーかはわからない。ただ、その世界を意識して、見ることはできる。間違いなく。

 

■世界征服も許容する

こう書くと、「じゃあ、お前は『世界征服したいんです』というヤツのことも許容するのか?」と聞く人が出てくるかもしれない。

 

答えはイエス。その人がほんとーに世界征服したいんなら、まあ、良いんでないの?と思う。ただ、「何のために世界征服すんの?」とは聞くと思う。

 

ついでに、「あなたがそう思うのは自由。でも、僕はそう思わない」というのだって、許容だ。

 

許容は、別に全て同意することじゃない。あなたの考えは認めるよ、だけど、僕はそうは思わないってこともある。

 

つまり、僕が一足お先に「許容し合える社会」を生きる訳だ。「許容し合える」、つまり、僕はあなたを許容するし、あなたも僕を許容する、ということ。

 

書いてる本人がこんがらがってきたけれど、まぁ、そういうことよ。