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20170120_「お金のいらない国2」を読んだ感想と、お金と仕事について考えた

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「お金のいらない国2」という本を貸していただく機会があって、読みました。面白かった。童話のような、短編ファンタジーのような、架空のお話。
 
「1」を読んでいなくて平気かね?と貸してくれた人に聞いてみたところ、「全く問題ない」と。確かに、全く問題なかった。
 
細かいことを言えば、「お金がいらない」というよりは「お金(という概念)がない」世界が舞台。現代(お金のある世界)の住人が、お金のない世界に行ってしまって・・・というお話。
 
現代社会で10人の人に「あなた、お金欲しいですか」と聞いたら、9人か10人は「欲しい」と答えると思う。かく言う私も、無いよりはあった方が良いよねぇ、とは思う。
 
でも、この作品の舞台である世界には「お金」という概念がない。だから、人々は自分にできて、人が喜んでくれることをする。
 
ひょっとしたら「1」にそういう説明があるのかもしれないけれど、お金がないから「飲食店」という概念もない。だから、お腹が空いたら、料理が好きな誰かに「ご飯を食べさせて」と言えば、ごちそうしてくれるかもしれない。
 
でもそれは、当然ながら、お金をもらうためにやってるわけではない。だって、お金がないんだから。

■働くとは、職業とは。

こうなってくると、「働く」とはどういうことか、分からなくなってくる。我々は「働く=お金を稼ぐ」と考えるけれど、お金がない世界では、その等式は当然成立しない。じゃあ、誰も働かないかというと、たぶんそうはならないんだろうと思う。
 
むろん、働かない人もいるかもしれないけれど、「これやると、みんな嬉しいよね」とか「これが好きだからやりたい。やらせてくれるなら、人の分までやりたい」という人が出てくるはず。そうなれば、自然と役割分担が出来上がってくる、はず。
 
畑を耕すのが好きな人は自分の分だけではなくて、人の分まで耕す。だって、耕すのが好きだから。料理が好きな人は、人が美味しいと言って食べてくれるなら、喜んで作るだろう。掃除が好きな人もいれば、家を建てたり、修繕したりするのが好きな人もいるはずだ。洋服をちくちく縫うのがたまらない、という人もいておかしくはない。
 
たぶん、お金がないから「会社」という制度が成立しない。お金を稼ぐ(利益を上げる)という目的があり得ないし、「給与」も発生しないから。
 
ひょっとしたら、「これ、ちょっと一人じゃ出来ないから、手伝ってー」という呼びかけに、よっしゃよっしゃと集まって、何かの目的を達成するための集団は出来上がるかもしれない。
 
でもそれは、その目的(例えば、大き目の家を建てるとか、大規模な工事をするとか、井戸を掘るとか、たぶんそういうこと)を果たすためであって、それが終われば、たぶん解消されるものだ。雇用関係ではありえない。
 

■お金はオマケ

今のところ、僕はお金が「ある」世界に暮らしている。お金は便利だなあと思うし、お金という概念を発明した人はすごいなあ、と素直に思う。現代社会を生きる上では、「お金」と全く関わらずに生きていくのは結構難しい。
 
ただ、「自分が好きなこと・得意なことをして、それが結果として人の役に立つ」という原点に立ち戻ることはできると思う。
 
お金を使ってお金を稼いだり、秒速で1億円稼いでみたり、働かないでお金が入ってくる仕組みを作ったり、まあなんか、世の中にはお金との色々な付き合い方、稼ぎ方があるらしい。
 
それはそれで、否定はしない。不動産収入で暮らそうが、親の遺産を運用して生きようが、為替や株の取引で利ザヤを稼ごうが、人それぞれの人生、好きにすればいいと思う。
 
ただ、僕個人としては「お金」はオマケ、という考え方に共感する。自分が好きなこと、やりたいこと、得意なこと、楽しいことをする。それが人のためになり、人の役に立つ。人に自分が提供した価値を認めてもらえる。その結果、お金となって返ってくる。この流れは、僕としては実にしっくりくる。
 
極端な話、そのリターンが「お金」でなくてもいい。ご飯をごちそうしてくれる、でもいいし、何か別の価値を提供してくれる、でもいい。お金が介在しない経済活動が成立するならば、その方がよほど直接的だし、分かりやすい。
 
世の中には思った以上に色々な仕事があるし、また、自分の中にも思った以上に、色々な才能や「得意なこと」がある。「仕事はつまらないもの、苦しいもの」と思い込んでしまうのは、つまらないんじゃないのかね、と思っている。