20170117_知ることと感じること
最近、ジャズなんぞ聴くようになりまして。と言っても、全く詳しくないし、そこまで詳しく知ろうともしていないのですが。
ただ、「これは聴いておけ!」的な、いわゆる有名な演奏家やアルバムをつまみ聴きしたり、そこから別のアルバムに移行したりして、楽しんでいます。
で、ジャズの曲名や誰が演奏したかを知っていると、ふとした時に「あれ?これ、あの曲じゃね?」と気付くことがあるんです。
例えばテレビCM、あるいは番組のBGM。ちょっと休もうと思って入ったドトール(シャノアールだったかな?どっちでもいいんだけど)で流れてるBGMなどなど、今までであれば確実にスルーしていたであろう曲たちが「あー、あの曲!」となる。
■知るからこそ面白い、ということもある
今までは「うん、ピアノの曲」とか「ちょっとファンキー」という程度の印象だった、あるいは、全く氣にしていなかったBGMが、曲を知るだけで「おー。こういうシーンにこの曲かー」とか、思えるようになる。
村上春樹の小説にはジャズやクラッシック、たまにロック(ビートルズとかね)の曲が出てくる。僕はクラッシックは門外漢なので、アタマの中で曲を流したり出来ない。もしそういう曲を知ってると、より面白いだろうなと思うわけです。
むろん、知らない面白さ、というのもある。知らないからこそ、想像が膨らむ、広がるということも。
でも、知ってるからこそ、それをヒントに広がっていくことも、これまたある。
「この曲はアレっぽいな」とか「この作家はあの人に影響を受けたのかな」とか、そういうヨコの繋がりみたいなものをたどるのも、また楽しい。
■知識と感性のバランス
全てはバランスよねー、と思うのです。知識ばっかり溜め込んで、それをアウトプットするだけってのは芸がない。自分のアタマや心はどこ行った?って感じ。
知識なんかいらない、自分の感性だけを信じる、というのも良いけど、広がりはないように感じる。自分の器なんてタカがしれていて、色んな人の考えや知識をヒントにした方が、より幅は広がる氣がする。
何事もバランス、調和だねーと思うのですよ。ホントに。