20170115_常識という厄介なものについて


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昔、B.B.クイーンズというバンド(ユニット?)があった。調べてみたら、2011年に活動を再開したんだそうな。知らなかった。ついでに、バンド名の由来がB.B.キングから来てるということも、流行った当時には知らなかった。

 

閑話休題。彼らの代表曲と言えば、やっぱり『おどるポンポコリン』だ。この曲の中で、彼らは(正確に言うと、作詞は漫画家のさくらももこらしいのだが)高らかにこう歌う。

 

いつだって 忘れない 

エジソンは 偉い人
そんなの常識~

 

エジソンは確かにスゴいとは思う(大発明家で、ついでにかなりのビジネスパーソンだったらしい)けど、それを「そんなの常識」と言い切ってしまうって、スゴいなあと感心した覚えがある。

 

■常識を振り回さない

別に「エジソンが偉い人」かどうかは、正直どうでも良いけれど、「そんなの常識」と思われていること(あるいは、自分も思ってること)を疑ってみる、ということは、場合によっては必要じゃないか、と思う。

 

「常識」は、共同生活(社会だって、言ってみれば規模の大きな共同生活だ)を営む上での共通認識として、ある程度は必要なものだ。

 

でも、常識が怖いのは、明文化されてない分、人によって違ったりする点だ。僕にとっての常識は、彼にとっての非常識だったりすることが、多々ある。

 

例として適切ではないかもしれないけれど、初めて名古屋で「コメダコーヒー店」に入り、アイスコーヒーを頼んだ時のこと。衝撃を受けた。

 

アイスコーヒーに最初から、砂糖が入ってる!!

 

これ、たぶん名古屋の人や知ってる人にとっては常識なわけですよ。でも、知らなかった僕は驚いた。「コーヒーはブラックで出すもんだろ!?」と。これも、自分の常識を振り回してるだけ、なわけです。

 

■結論。僕よ、常識を疑え

太陽が東から登って西に沈む、水は高いところから低いところへ流れる。このように、経験則的に言えることもたくさんあります。ただそれも、「今まではそうだったし、今後もそうであるだろう」というくらいのことにすぎない。

 

不確実性があること、あるいは人が絡むことに関して言えば、「常識」だなんて、うかつには言えないよなあ、と思う。

 

ついつい、僕は「そんなの常識でしょ?」とか「そんなの当たり前じゃないか」と言ったり、考えるタイプなので、そのあたりは意識しようと思っている。