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20170112_ブログができるまで、あるいはインプットとアウトプット

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皆さんがどのようにイメージしているかは分からんのですが、ブログを毎日(のように)書こうとしていると、無意識のうちに「お、これはネタになるんじゃないか」と、ネタ探しをしている自分に気付くことがあります。んで、後からメモを見返してみて「なんじゃこりゃ」となることも多い。
 
そうではなくて、メモを読んで理解もできているし、かくかくしかじかを書こう、と思って書き始めてみるのだけれど、書いているうちに何となく違うなあ、しっくりこないなあと思って、お蔵入りになるネタ、というのもあります。
 
これは不思議なもんで、書き始めてみるまで、そのネタがブログの記事として成立するかどうか、自分でもよく分からんのです。ひょっとすると、それは書き手の問題が大いにあって、本当は記事になるネタなのに、何となく切り口が違ったり、単に情報量が少なすぎるだけで記事にできていないのか、その辺は良く分かりません。
 

■傾向と対策、じゃないけれど

最近分かってきたのは「よし、今回はこれを書いちゃうぞ」と肩ひじ張って書き始めたネタ(記事)は案外頓挫して、「何となく、この話でも書いとこうか」という記事は、案外面白いところに着地してくれたりすることが多い、氣がする。
 
どうも、肩ひじを張って書き始める原稿は(あくまでも、私の場合は、ですが)人に「何かうまいこと、良いことを言ってやろう」という功名心が先に立つのか、記事なる前に失速して、空中分解してしまいがち。無論、空中分解した記事も再度チャレンジの結果、見事記事になることもあります。が、そのままお蔵入りになることもある。この辺は何というか、非常に不思議なもんです。
 

■ブログの記事ができる時は「何となく」

私は、何の役にも立たない駄文を日々生産してはサイバースペースの一角に置かせてもらっていると日々感じています。
 
そして、私はこのブログを九分九厘、自分の楽しみのために書いています。自分の頭の中の整理に使うこともあれば、自分の感覚を共感してもらいたいがために書くこともある。今後は、告知・宣伝のために記事を書くことも今後増えるかもしれない。
 
それでも、一応は読者の存在を意識するわけです。読者がこの記事を読んで、こんなことを考えてくれたら、こんなことを感じてもらいたい、と思って文章を書くわけです。その願いが叶おうと、叶うまいと。
 
で、何の氣なしにふらふら~っと書き始めた文章が、いつの間にか「こんなことを書こう、こんな構成にしよう」と骨子が固まっていって、最終的には記事体裁に固まっていく、ということもあります。というかそういうことも多い。
 

■インプットからのアウトプット

だからこそ思うのは、「インプットって大切だよなあ」ということ。あくまでも予想なのですが、このようにふらふら~っと書き始めた原稿がどこかに着地するというのは、以前私がインプットしたり、その情報を元に考えたりしたことが蓄積されていて、新しい情報や刺激を受けた時、以前蓄積していたインプット情報が「ハイ!」と刺激されて出てきているんじゃないか、と推測するのです。
 
本を読んだり、人に話を聞いたりして、自分の中に刺激をたくさん取り込んでおいて、一旦忘れて。それが豊かな土壌になって、新しい刺激という「種」が撒かれたとき、土壌と種とが出会うことで、作物が育っていく。そんなイメージなのかもしれないなあ、と思ったのです。
 
だから、どんな種が撒かれてもいいように、土壌改良は欠かさない。日々栄養や水を与えて、成長を阻害しそうな要因は出来る限り取り除く。そんなことをしながら、日々ブログを更新する。ありがたいことである。
 
当然、今日の記事も思い付きで書き始め、結果として自分でも想像もしていなかったところに着地しました。そういうもんなんでしょうかね。