20170108_ワクワクに従うこととは、一瞬の快楽に身を任せることではない

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Photo by Chisako Abe

 

■ワクワクに従うこととは、一瞬の快楽に身を任せることではない

という、メッセージが下りてきたことがあります。「好きなことだけやる」、「ワクワクに従って生きる」と聞くと、「お、んじゃー、自分の嫌なことはやんなくていいってことだよね~」と思いがち、ですよね。
 
友人と話をしていて、「好きなことだけする」とか「ワクワクに従って生きる」ということは、ただ、のんべんだらりとして生きることとは違う、という話になりました。
 
このことについては私も大変同意だったのですが、「では、どういうことなのか?」と聞かれると、どうもうまい回答が見つからずに困っておりました。
 
「好きなことをやるためには、多少嫌なことは我慢せにゃならん」というのはちょっと違う気がするし、「好きなことだけしたいから、自分がやりたくないことは、絶対にやらない」ってのも、何となく違うような気がするよなあと思ってきたのです。
 
んで、友人と話していて、こういう結論が出ました。
 
「自分が本気でやりたいことをやっているときは、嫌なことですら楽しくなる」。
 
ホントかよと思われるかもしれませんが、これは実際そうじゃなかろうかと。
 
例えば、自分がやりたいことをやるために朝早く起きなければならないとしたら、そりゃー起きるよね、と。自分が多少人見知りだったとしても、イベントに集客をしなくてはならない場合には頑張って人を呼ぶ努力をするよね、と。
 

■どこに自分の「ワクワク」を置くか

日々、のほほんと、あるいはキャッキャして表面的に楽しく生きる、ということも、やろうと思えばできるでしょう。でも、それが本当に自分にとっての「ワクワク」なんですか?と考えると、さあどうなんですかね、という気になる。
 
自分が本当にやりたいこと、取り組みたいことが見つかって、前だったらちょっと尻込みしていたであろうことでも、「やろう!」と思えてしまう人生。これって理想じゃないかと思うのです。
 
さて。皆さんどう思われます?