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20160107_ちょうどいいサイズの容器を探す努力について

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Photo by Chisako Abe

 

■お正月なんで

お雑煮とかお汁粉とかを作って食べることが多い。どうも、焼いたお餅に汁をかけて食べる、というのが好き、ということもある。実はさっきも、お汁粉を作って食べた。美味しかった。
 
で。お雑煮なんかを作るときに悩むのは、実は器だったりする。
 
私がお雑煮を作る際は、大根と人参、鶏肉を鰹節と昆布でとったおすましのだしで煮て、それをお椀に盛った餅、かまぼこ、三つ葉(このあたりは、かまぼこがナルトになったり、三つ葉がゆずの皮の刻んだのになったりする)の上からかける、というやり方を取る。
 
このやり方の場合、「餅の容量+汁の容量+汁に含まれる具の容量」を計算して、器のサイズを算出しなくてはいけない。と、小難しく書いてみたけれど、要するに、餅の入った器に汁を入れたら「ありゃ、意外と器が小さすぎたか」と思うことが良くある。
 
だからと言って、器を大きめにするのもなあ、と思う。というのは、雑煮はやっぱりお椀くらいのサイズで食べたいから(あくまでも、私は)。どんぶりで雑煮、を食べるというのは、私の美学に反するわけだ(大げさ)。
 
もちろん、一番いいのは「ちょうどいいサイズ」の器を準備すること。でも、そうそうぴったりの器を準備するのも難しい。その場合、一般的な解決策として正しいのは「大き目の器」を用意することだと思う。それはそれで、悪くはない。
 
ただ、私はできるだけ、「ちょうどいいサイズ」の器に入れることを目指したい。
 

■他のジャンルにも当てはまる話

それは、全く別のジャンルに関しても当てはまったりする。たとえば、言葉。自分が「伝えたい」と思う、あるいは「表現したい」という思いに対して、ちょうどいいサイズの言葉を探して使いたいし、そうでない場合は、何となく違和感を感じてしまう。
 
例えば、美味しいラーメンを食べたとき。
 
「美味しい!」、こりゃまあ、そうだろう。では、「感動!」となると、どうか。いや、そのラーメンが本当に美味しくて、自分の琴線に触れる何かがあったのならば、「感動!」という単語をチョイスしても良いと思う。
 
でも、普通に考えると、ラーメンで感動することは極めて珍しい。少なくとも、私は美味しいラーメンを食べて、感動を覚えたということは、未だかつてない。だから、もし僕がラーメンを食べて「感動した」と言ったなら、それは相当のことだ。
 
でも我々は悲しいかな、自分が思ったことや考えたことを「大き目の言葉」に入れてしまう。特に私はそうだ。「大き目の器に入れてしまう」のだ。
 
だから、いつもできるだけ「この言葉は、この想いのサイズに合ってるか?」を考えるようにしたいと思っている。そのために何かを言うタイミングを失ったとしても、それはそれで良いかなあとも思う。
 
そんなお正月の夜。って、1月8日を「お正月」と称するのも、大き目過ぎる気がするよなあ。