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20170103_命短し、動けよおじさん


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(年末に築地市場で食べた、鶏そば。んまかったなー)

 

■40にして惑い放題

「40にして惑わず」と、孔子は言いました。ホントかよ、と私は思うのです。

40歳になったから惑わない、なんてことは全くなく、40歳にして惑いっぱなしの私がいます。

まあ、孔子は「30にして立つ」というくらいの人物で、30歳の頃にはグータラしていた私とは大違いではあるわけです。比べちゃいかんのか。ですから、まあ、40歳にして惑わなかったとしても、そんなに不思議はないっちゃあないのですが。

それはともかく。40歳になったから、戸惑いや不安がなくなったかと言えばそんなことはなく、未だに迷ったり、怒ったり、不安になったりの毎日なわけです。これはまあ、仕方がない。

ただ、40歳になってかれこれ3カ月ほど過ぎてみた今、痛烈に感じていることは「もう、そんなにのんべんだらりと生きている訳にもいかねえな」ということでした。

マハトマ・ガンジーはこう言ったね

「明日死ぬと思って生きなさい、永遠に生きると思って学びなさい」

そう。僕らはいずれ死ぬっつう話じゃないですか。実際、昨年は親戚や身内に不幸が重なって、「命ってなんだろう」と考える機会が多かった一年でした。「あ、人はいつか死ぬんだよね」と、死が、より身近に感じられたのです。

僕は今40歳で、おかげさまで大変健康で、とりあえず、今のところ「明日死ぬ」可能性は極めて低い。でも、いつ何時、何が起きるかなんて、全く分からない。だからこそ「明日死ぬと思って生きなさい」というメッセージが、心に沁みる。

明日死ぬとしたら、今の自分の生き方に悔いは残らないだろうか。自分の命を本当に、100%、あるいはそれ以上に燃やし尽くすことができているだろうか、と自問自答する。そう考えると、1分1秒たりとも無駄にできないなと感じる。立ち止まっている暇なんぞないと思う。

 

■自分の人生をどう使うのか?

焦っているわけではないし、何か立身出世を目指したいというわけでもない。ただ、この世に生を受けたことの喜びや意味を見つけて、味わいつくさなくてはもったいないし、失礼だよなと思うようになった。とにかく、生きているうちに何かを残したいし、生きているうちに学びたいし、生きているうちに、できるだけ色々なことを経験したい。それは、人に会うこともそうだし、本を読むこともそうだし、ブログを書くこともそうだ。

もちろん、別にストイックにやるつもりはない。自分が楽しく、気持ちが良い状態にいられれば良いなあと思っている。けれど、「明日死ぬかもしれないけど、どうする?」と自分に尋ねることは、し続けることになると思う。

 

「明日死ぬかもしれないけど、そのテレビ見る?」、「明日死ぬかもしれないけど、そんなに寝る?」などなど。元々僕はテレビっ子だし、寝るのが大好きな人であった。でも、テレビを見ていても「自分の命を何かのために使った」という実感はない(というか、実際使ってないと思う)し、寝ることが自分の命を燃やすことにつながる、とは到底思えない(むろん、疲れを取ったり、アタマの整理をするために寝ることは寝るけどさ)。たぶん今後は、半日寝るとか、そういうことはしないと思う。

 

まさに、「命短し、動けよおじさん」である。明日死んでも後悔しないように、いつお迎えが来ても「あー、楽しかった。今世生き切ったわー。来世楽しみ~」と笑顔で言えるように、今に全力投球したい。

 

たのきん全力投球や!(アラフォーにしかわからないネタで締める)