20170101_「風が吹けば桶屋が儲かる」ことについて


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今日は非常に何というか、伝わりにくいことを書きます。ひょっとすると、意味が通じない可能性もあります。でも書きます。言いたいことと、書いていることがズレてくる可能性もあります。でも書きます。

 

■「風が吹けば桶屋が儲かる」的システム

風が吹けば桶屋が儲かる」ということわざというか、故事成語がありますよね。あれ、なんでなのかな~と思ったので、調べてみたのですが。

 

こういうことらしい。

 

大風で土ぼこりが立つ→土ぼこりが目に入って、盲人が増える→盲人は三味線を買う(昔は目の見えない人が三味線を弾く職業に就くことが多かったから)→三味線に使う猫皮が必要になり、ネコが殺される→ネコが減ればネズミが増える→ネズミは桶をかじる→桶の需要が増え桶屋が儲かる

 

納得できるような、できないような。ただ、私が言いたいのは「今年は因果関係を疑ってかかるぞ」ということです。

 

■因果関係を疑う、とはどういうことか。

要するに「Aをしたから、Bになる」という思い込みや、先入観を捨てるということ。例えばですが、「寒いところで寝たから、風邪をひく」とか、そういうやつです。もちろん、科学的な根拠や理屈が通ってる物事も世の中にはたくさんあるのでしょうが、一旦、その理屈や原理を取っ払って考えてみる。特に、「そう言われているから、そういうもの」みたいなものに関しては、特に疑っていきたい。

 

風が吹けば桶屋が儲かる」というのは、もはや「AゆえにB」というシンプルな因果関係の枠を飛び越えて、「A、ゆえにウルトラC」みたいなことになっている。世の中は、そんな風につながってるんじゃないかと思うのです。

 

例えば(あくまでも例えば)、「私が街のごみを拾ったから、ソマリアの難民が1人助かった」とか、「私がブログを書いたから、引き籠りだった埼玉県在住のAさんがコンビニでバイトを始める決心をした」とか。自分のちょっとした行動や意識が、世の中に影響を与えてるかもしれないと考えて生きてみようじゃないかと。

 

■要するに「根拠はないけど、そうなる」と考えてみる

今までの僕は「こうなる!」と思うためには、根拠を必要としてきました。「実績がなければ、プロとして成功はできない」とか、「努力しなければ、成功できない」とかね。何事に関しても。

 

なので、そこの因果関係も一旦捨ててみようじゃないかと。「なんだかわからないけど、成功しちゃう」ということだって、あるかもしれない。というのは、自分(あるいは、誰か全く別の人)が起こした行動や考えたことが、巡り巡って、「風が吹けば桶屋が儲かる」システムに乗っかって、具現化するから。

 

どうせ考えるのならば、自分にとって都合よく考えた方が良い。「今日は一日家にいたな。あー、仕事がうまく行っちゃうなー」とか、「今日観た映画、面白かったなー。あー、これでまた夫婦円満になっちゃうな」みたいな。

 

我ながら「そんなアホな」とは思うけれど、この世の中がどういう因果関係が絡まり合っていて、何がどうなったらどうなるかなんて、誰にも分らない。だからこそ、自分ができる範囲のことを、自分ができる範囲で、必死にやるってことが、人生なんだろうなあとも思います。