読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

『シン・ゴジラ』観てきた(ネタバレ、独自解釈あり)

今更感ハンパないわけですが、観てきましたよ。ただ、1回しか見てないので、詳しいことや細かいところまでは分かりません。あと、みんな早口すぎて(笑)、聞き取れなかったセリフもあったんで、そんなにマニアックなことは書けません。

 

でも書く(笑)。なぜならば、とりあえずアウトプットしておきたいから。色々思うことはあったので、思いついたことをテーマ別に書いていきたいなと。

 

で、壮大にネタバレしますので、イヤな方はご覧になってからどーぞ。


■実に映画らしい映画だと思った(全体的な感想)

ゴジラ来る→右往左往→対策練る→何とかなる→ハッピーエンド(?)

 

ものすごーく雑に言えば、これだけのストーリー展開。でも、その中に「映画らしさ」みたいなものがきちんと入っている。

 

もちろん、異論はあると思います。


通常(?)、あるいはハリウッド映画ではお約束のような恋愛沙汰は皆無。主人公の矢口に関しては、妻帯者か未婚かもよくわからない。石原さとみ演じるカヨコ・アン・パタースンが出てきて「おっ、これはロマンスの予感か?」と思いきや、そっちの方は全く進展せず。いや、フツーに考えりゃそうなんだよ。それどころじゃねーよ、って話であって。でも、映画の中ではあるじゃん?そういうの。でも、『シン・ゴジラ』はそれを採らなかった。

 

にもかかわらず、私は非常に映画らしい映画だと思いました。例えば、タイムリミットが設定されて、その中で事を解決しなくてはならないという事態に陥るところ。あるいは、クセのあるメンバーを集めたチームが活躍するところ。最終的には、何とかなるところ。うわーっと思わせておいて、最後はきちんとスカーっとさせて終わる。いやほんとに素晴らしい。

 

難しいことを考えようと思えば(おそらく)いくらでも考えられるし、「ゴジラ、ドーン。わー、スゲー」でも楽しめる。そんな映画かなーと。

 

■結局最後は現場対応なんだな、この国は。

主人公の矢口(長谷川博己)が、「ヤシオリ作戦」の前にスピーチで、現場の力について触れている。まー、まさにここだよねと。日本という国は、ホントに現場の人たちの努力と、ある意味プライドで支えられてるんだなーと思う。

 

というのは、途中途中でチョイチョイ触れられる。 巨大不明生物特設災害対策本部(巨災対)のメンバーたちがカップラーメンすすりながら仕事をするシーンもそうだし、警察や消防隊の皆さんが必死に避難誘導をしているシーンもそう。ゴジラの足止めに当たる「タバ作戦」にあたる自衛官の皆さんも、当然そう。良い・悪いというよりは、確かにそういうもんかもね、と思いつつ見てました。

 

それはラストシーンで、自衛隊や米軍の兵器ももちろん使うのだけれど、最後の最後は電車だったり(!!)、建機が作戦のキモになるという点にも、何となく現れてるのかなあ、と思ったり。

 

それにしても。統合幕僚長・財前(國村隼)の「仕事ですから」というセリフにはしびれたなー。

■「ゴジラ=旧体制をぶち壊す何か」である

「我々はゴジラと共に生きていくしかない」というセリフが、ラストシーン近くでありました。一応、ゴジラの凍結には成功したわけで、一見すればめでたしめでたしなんだけど、「共に生きていく」と、主人公に言わせる。

 

要するに、ゴジラ=旧体制、現状をぶち壊す何かの象徴なんじゃないのか、と。ゴジラと3.11の類似を指摘する人も多いようですけども、それも一理ありますよね。「想定外」のことが起きた時に、どうすんの?と。そして、おそらく想定外のことは、これからも起き続ける。その時に、過去のデータに囚われていては動けないよと。

 

過去の延長線上に敷かれたレールに乗っかっておけば、物事がスムーズに運んだ時代はもう終わりで、これからは「ゴジラが来ちゃった状況=今」をしっかりと見つめて、その上でどう行動するのかを考える。これからは、そういう時代になるんじゃないの?という気はしました。

 

だからこそ、ゴジラが来た後、誰かが「日本あるある」と書いてましたけども、会議のための会議を開いて、形式上の会議・報告をして(途中、『中略』という字幕が出たのには笑った)、対策を練る。たぶん、アメリカだったら(良くも悪くも)大統領の一存で全てを決める。

 

カヨコ・アン・パタースンのセリフにもありましたね。「(ゴジラをどうするか、アメリカなら)それは大統領が決める。日本では、誰が決めるの?」と。日本では、誰も決めないんです。たぶん。今のところはね。あるいは、一人ひとりが考えて、それぞれに決めていく時代になっていくのかも。

 

■「異端」が「全体」を救う時代

「映画らしい映画」のところでも書いたけれど、フツーの人、あるいは主流派がフツーに事に当たって何とかするのでは、面白くはない。 「巨災対」のメンバーは、各省庁や各分野から「変人」や「オタク」を集めたという。言わば、主流派ではない、異端の人間ばかり。でも、そういう異端の面々が、結果として東京や日本、ひいては世界を救うことになるわけです。

 

というのも、映画としてその方が面白いから、というだけではなくて、何かメッセージめいたものを感じるのは、私だけでしょうかね。
 

■「好きにやったらいかがですか」

主人公の矢口や内閣総理大臣補佐官の赤坂(竹野内豊)がいかにも切れ者で、やり手な感じがする一方で、ある意味、内閣総理大臣臨時代理を押し付けられちゃった里見(平泉成)。凡庸で、アメリカの圧力にも屈しちゃう、何となく頼りなさげな人物として当初描かれたこの男が、最後の最後に大仕事をする。

 

その時のキーワードが「好きにする」だというのは、とても興味深い。「好きにする」というのは、自分が良いように、イージーな方向に進むってことではなくて、自分の声に従って、自分の考えを貫くことなんだろうなと。

 

駐日フランス大使に対する里見の一礼に、私は「男」を見ましたね。

 

とまあ、ずらずら書いたわけですが、とにかく、一度見た方がいい(笑)。ホントに日本がこのように動いているかどうかは知らないけれど、大方こんなとこなんだろうなー、とは感じます。良い・悪いではなく。

 

ひょっとしたら、思いついたらまた書くかも(笑)。