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月と太陽について


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どーも最近、フタをしてきた思春期がこじれて出てきているようです。いやまあ、自然な感情の発露だし、悪くはないと思っていますが。

 

ただ、やっぱりまだ(まだ?)恥ずかしい。テレがある。というか、人からの見られ方を意識しているのがわかります。

 

というわけで、今回も、とても思春期ポエム的記事ではありますが、どうぞ。

 

■あまりに朝日が美しいので

少しベランダで眺めていたら、遅刻しかけました。皆さんお元気ですか。

 

それにしても、キャンプなどをしていると、太陽がいかにスゴイものかを感じます。自然の中にいると、そもそも夜がとても暗い。灯りの光が届く範囲は限られる。気温は下がり、夏でも結構寒くなる。

 

ところが、朝が来て太陽が登り始めると、あたりは明るくなって、気温もどんどん上がっていく。太陽の光に包まれていると、体は温まり、しばらくすると暑くなる。

 

例え雨に降られたり、洗濯をして濡れた衣類も、太陽の光の下に干しておけば、いつの間にか乾いてる。我々が太陽から受けている恩恵は、計り知れないものがあります。

 

これだけのことを、人間の力だけでやろうとしたら、相当大変だと思うのです。電気でやるのか、どうするのかはわからないけれど、手に負えるエネルギー量じゃないなと実感する。

 

太陽には、ホントに感謝してもし尽くせないと感じるのです。

 

■と、太陽への感謝を捧げた上で

お月さまみたいな人になりたい、と思うのです。話が急ハンドルで申し訳ない。

 

太陽は、本当にありがたい。晴れていてくれるだけで、心は爽やかだし、雨に濡れる心配もないし、温かいし、様々な恩恵を受けることが出来る。

 

一方、お月さまが与えてくれる、目に見える恩恵は少ないようにも見えます。私が知らないだけかもしれないけれど。

 

月の光は夜道の助けにはなるけれど、あたりをとても明るく照らすことはない。月が出ているからといって、気温が上がる訳でもなければ、洗濯物が乾く訳でもない(乾かないこともないけれど)。

 

■ここからは、あくまで私のイメージ

でも太陽は、時に眩しすぎる。直視出来るものではないし、照らして、温めてくれるのはありがたいけれど、暑くなり過ぎることもある。

 

太陽が「動」であり「陽」ならば、月は「静」であり「陰」。「月見」はするけれど、あまり「太陽見」をする人は聞いたことがない。「日光浴」はあるけれど。

 

そして、月は姿形を変える。いや、影になっているだけで、月そのものが形を変えている訳ではないのは(何となく)知ってはいるのだけれど。

 

とても役に立つ訳でもないのだけれど、静かにあたりを照らしている。時々に合わせて姿形を変え(時にはいなくなったようにすら見えて)、実は常にそこにいる。何かを強烈に主張するわけではないけれど、意識を向けると、そこに浮かんでいる。

 

■改めて、お月さまみたいな人でありたい

野村克也が以前、「王、長嶋はひまわりで、俺は月見草」と言ったというような話を聞いたことがあります。私が言いたいのも、似たようなことかもしれません。ただ、卑下するつもりは一切ありません。

 

みんながみんな、太陽のようにピカピカと明るく、さんさんとあたりを照らし続ける必要はなくて、月のように静かに、仄明るく照らす人がいても良い。いやむしろ、いてくれないと困る。

 

それもこれも、役割だよなぁと思います。

 

時に、太陽を見て「ああ、あんなに力強く輝けないなあ」と思うことはあるけれど、私は月のように、静かに、美しく光れば良いんだろう、とも思い始めました。そして、時々夜道を行く旅人の助けになれば良い。

 

人にはそれぞれ、太陽と月の要素があって、どちらが強く出るのか、時期や立場、置かれた環境や自分の意識で変わるのかもしれませんね。

 

そんなことも考えつつ、私は、とりあえず今は、お月さまのような人でありたい。そう思います。