パートナーシップという、けったいなもの
(またハコネ)
■前々から、次こそは軽めのテーマで、と思っているのですが。
今回もまた、タイトル通り、決して軽いとは言えないテーマを選んでしまう私。でもまあ、好きなんでしょうね。
■私にパートナーシップについて語る資格があるのか
そう。ふと考える。別に私は、前世が見えるわけでもないし、ソウルメイトと結ばれた!という実感を持っている訳でもないし、男女間の関係性について、長年研究してきました!という訳でもない。
ただ、私自身が14年間結婚生活を送ってきたこと、そして、ここ数ヶ月、男女のパートナーシップについて考える機会が多かったこともありまして。ここらでちょっと考察というか、考えたこと、感じたことをアウトプットしたいのです。
なので、別に「コレを読めば素晴らしいパートナーに恵まれる!」とか「夫婦関係はこうするとイイ!」みたいな話にはなりません。
いや、ここはフカシでも「なる」と言っといた方が、ブログのアクセス数は増えるし、良いんじゃないかと思いつつ。
■結果として「調和してしまう」くらいがいい
パートナーシップとは「仲良くする」、「調和する」といったもの「ではない」のかなと。こう書くと誤解が生まれそうですが、決してパートナー同士がいがみ合ったり、不調和の状態がイイ!と言いたいわけではありません。
私が感じるのは、「調和は結果」ではないかということ。
夫唱婦随、あるいは逆でも良いのですが、どちらかがビジョンや方針を示して、一方がそれに追従する。そういう在り方が双方にとって快適であるならば、それはそれで結構なことです。ただ、私の理想とは違う。
私の理想は、お互いが自分の在りたい姿、生きたい人生を歩んだ結果、そこに調和が生まれる感じ。言い換えると、調和しようとするのではなく、ある意味調和「してしまう」状態。
そこには、「合わせる」も「我慢する」もない。時には「調整する」というのはあるでしょうけど、どちらかが一方的に自分を抑えて生きることはない。
■何度も言うけど、これはあくまで私の理想
「そんなこと言っても、子どもがいるとそうはいかない」とか「稼いで家族を養わなきゃいけない」とか、「旦那や子どもをほっとけない」とか、まあ、色々な批判は思い付きますよ。
当ブログでも何度か触れましたけど、我が家は子どもはいないし、両親も元気で健在です。「だからそんなヌルいこと言えるんだ」というご意見もあるでしょう。が、私はそれを受け取りません。
極論を言いますが、それぞれに自分が生きたい人生を歩めば、おそらく、そういった課題(に見えるもの)とも、自然と調和してしまうのですよ。それが調和しないのであれば、そのパートナーとはご縁がなかったっつーことでしょう。パートナーは(これまた極論ですが)最終的には他人ですから、別々の道を歩んだ方がお互い幸せということもあるかもしれません。
■あなた自身が目を輝かせて生きなくてどーすんのよ
でも、家族はそうはいかない!というご意見もありそうです。パートナーシップとは、ちょっと離れますが。
では聞きますが、あなたは自分の親が「自分の好きなことをして生きていく!」と目を輝かせている時、どう感じます?
逆に、「あなたのために、私は自分を犠牲にして生きる」と言われたら。
さて。どっちの親と一緒に暮らしたいですか。
私なら、たとえ多少貧乏しても、構ってもらえないことが多くても、前者を選びます。子どもの時にどう思うかは分からないけど、大人になったとき、「ああ、オトン、オカンは自分らしく生きたな」と誇らしく思うに違いない。
もちろん、「子どもや家族に尽くすのが、自分のこの上ない幸せです!!」という方もいるでしょう。それはそれで、ホントに素晴らしい。でも、全員がそうである必要はないし、全員同じであるはずがない。
「子どもがいるから」、「子どものために」なんて、ホントに子どもは求めてますかね?
パートナーシップも同じこと。
どちらかの我慢や、犠牲の上に成り立つパートナーシップなら、解消した方が良い。パートナー候補は、目の前のその人以外にも、世の中にいくらでもいるんですから。私はそう思います。
厳しいですかね?でも、どうやら我々は永遠には生きられず、将来この世から去るらしいんですよ。みんな、いつか死ぬわけです。
限られた時間をどう過ごすかは、自分次第です。私は、目を輝かせて、楽しく生きたい。それだけでございまする。