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不完全で完璧で、美しきこの世界


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(シウマイ弁当。偏愛。)

 

「人は本来、不完全をこそ尊ぶものである(要約)」

以前、ある人がこう言っていて、大変感銘を受けました。

 

もともと私は(以前はこれも認めてなかったのですが)完璧主義者で、一人でありとあらゆることを「できるべきである」、「しなくてはならない」と思っていました。

経済的にも精神的にも自立しなくてはならない。自分のことは自分で何でも出来なくてはならない。人に迷惑をかけてはいけない。人の好意に甘えてはいけない。人から理由無く施しを受けてはならないし、恩は必ず返さなくてはならない。

 

何事も上手くやらなければいけないし、失敗してはいけないと思っていたわけです。

こう考えていくと、実は辛くなる。それが今は何となくわかるのですが、昔はわからなかったのですね。

だから、以前の私はとても、何というか、厳しかった。自分に対しても、恐らくは他人に対しても。未だに少し残ってはいるけれど。

 

この「失敗してはいけない」という心理(あるいは強迫観念)が薄まってきたのは、最近のことです。おかげで、ずいぶん楽になった。

 

以前は人のあら探しばっかりする、イヤなヤツだったのです。

一言で言えばね。あの人のこういうところが良くないとか、こういう物言いが気になるとか、そんなことばかり考えていた。

 

映画を見ていても、「ここのストーリーが雑だ」とか「このセリフはおかしい」とか「この演技は云々」みたいなことばかり言うヤツだったのです。探せば、良いところはたくさんあるはずなのに。

 

しかし。コレというきっかけは良く分からないのですが、「人間、不完全でイイじゃないか」と思うようになったんです。

 

むしろ、不完全をこそ尊ぶべきだと。

いくら完璧な人間でも、一人でやれることなんてたかが知れています。「何でも一人で出来る!」と思っても、日々の生活を見回してみれば、どこかで先人から受け継いできた伝統や遺産を使っているわけです。完全に自分一人でこの世界を生きていくなんてことは、恐らく不可能に近い。

 

それならば、人に少し迷惑をかけたり、人の手助けを借りて生きた方が、ずっと楽だし、生きやすい。それに、こちらも頼ってもらった方が、かえって嬉しい。手助けするよと手を差し伸べた時、その手を遠慮なく借りる方が、お互いにとって有意義だったりする。

 

「いえ、結構。自分で何とかします」っていうのは、一見自立していて立派に見えるけれど、幼い。あるいは、拙い。

このあたりは、人からの受け売りだったりもするのですが、人からの恩をきちんと受けて、それを自分が出来る形で誰かに渡す。それが出来てこそ、人間らしい生き方になる。非常に抽象的ですが、そんなことを考えています。

 

だから、人間は不完全であることを尊ぶ。あなたはココが得意だけど、ココが苦手だから、そこは私が代わりにやりますよと。これも一つの形。

 

下手すりゃ、どう見ても不完全で、何の取り柄もないように見える人がいるとする。その人も、そこにいるだけでも尊い。実は、その人が社会の役に立つか、立たないかなんてのは、どうだっていい。あなたがそこにいるだけで嬉しい。これもまた、一つの形。

 

着地点があやふやになってきましたが、私には、いま、そんな風に世界が見えています。そして、そういう世界は大変美しい。

 

そんなことを考えています。