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嫉妬する自分に気付いて生きる


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(錦糸町「劉の店」で買った、台湾の駅弁「鉄道弁当」。スペアリブ?と煮卵が激ウマ)

シンクロというのか、何というのか。

最近、自分がその時に考えているテーマに合わせて、ヒントになるブログ等の記事を目にする機会が増えました。

僕は長い間、何のために生きているのかがわかりませんでした。子どもの頃から思春期にかけては特に。

自分には大した価値がない。ものすごくダメだとは思わないけれど、特別世の中に必要だとも思えない。この世にいてもいなくても大した影響はないなぁと思っていて。

いてもいなくても良いなら、いない方が良いんじゃないかと、真剣に考えた時期もあります。それが中学生くらいからかな。

この世を去ることも考えたわけですが、この歳まで(当時12~18、19年くらい)、せっかく育ててくれたわけだし、両親より先に逝くのは止めておこう、くらいの感覚で生きてました。

で、大人になって。自分が「いてもいなくても良いよね」という感覚は、実は心のどこかにずっとあるらしく。普段は考えないけれど、何かのきっかけでウワッと出てくるのです。

一番多いのは、同世代の作家の作品(特に、良くできた小説)を見たとき。ああ。自分は何してるんだろう。自分は何も残していない、と感じる。

後は、華やかな場に行ったとき。僕は基本的にあまり知らない人と話したり、仲良くなるのが得意ではなくて、どこにいても会話の中心にいような人に憧れがあります。シンプルにスゲーなと思う。

また、華やかな舞台に立っている人や、場の空気を変えたり、掴んだり出来る人も尊敬します。そして、良いなあと思う。

そして、こういう人たちに対して、心のどこかで嫉妬するわけです。羨ましいなとも。じゃあ、そうなれば良いじゃん、と言われても、出来ないし、しない。失敗したら、嫌だし、恥ずかしいし、辛いから、シニカルに笑っていることを選択する。

あのね、コレはコレで辛いもんですよ。スポットライトを浴びている人を見て、羨ましいなと思いつつ、「いや、僕はああいうの苦手なんでね、ははは」なんて、クールを気取るのは。

ホントに、そういう目立つとか、人前に立つのとかが苦手なら、それでも良いでしょう。でも、心のどこかで「俺もやってみたい!」と思っているのなら、辛い。

自分に出来ないことをしている「誰か」と自分を比べて、出来てない自分が嫌になるし、無意識に比べている自分に気づいて、さらに嫌になる。二重の自己嫌悪。

で。そんなことを考えていたところ、最近知り合ったまきさんのブログにぶち当たったわけです。

「愛と感謝で日常をテーマパークに!」
『嫉妬は最幸の承認』

まきさんは以前、某千葉県にある超有名テーマパーク(そう、「船橋アンデルセン公園」ですね(嘘))で、キャストのトレーナーのトレーナーをトレーニングする人(だったかな)をしていたという経歴の持ち主。とても柔らかで優しい雰囲気のステキな女性です。

で、彼女とFacebookでお友達になって、上がってきたのが上記の記事。読んで、感銘を受けました。

そうか。「羨ましい」と思うのは、相手のことを認めてるってことだよねと、目からウロコが落ちたのです。

「羨ましい」と思う気持ちは、けして悪いものではない。でも、相手と自分を「比べる」のは、少し違う。自分に出来ること、自分が活躍出来るフィールドを見つけて、そこで力を発揮すれば良い。これは、ついつい人と自分を比較をしてしまう僕にとって、とても嬉しい指摘だったのです。

とはいえ、すぐにその境地に至れるわけではありません。でも、この記事を読んで「あ。嫉妬してるってことは、相手を認めてるってことか」と思えるだけでも、僕にとってはものすごい進歩であり、発見であり、ありがたい。もっと、素直に生きられそうな気がします。