リーダーというか、輪の中心


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(エビスさんと大黒天と寿老人が、いつも、ごっちゃになる)

これからは「リーダー」がいて、「フォロワー」がいるという、今まで当たり前だったことが、当たり前じゃなくなるかもしれないと感じています。

今までの組織や団体、あるいは多くの組織には「リーダー」と呼ばれる人がいました。それは社長や部門長であり、隊長であり、学級委員長であり、国家元首であり、場合によっては家父長であったのではないかと思います。

それは選挙で選ばれるものはもちろん、何となく決まったものもあるだろうし、いた方が便利だから設定したものもあるでしょう。決めたわけではないけれど、自然にそうなった、ということもあるかもしれない。

いずれにせよ、従来は組織や人々を引っ張り、導き、先導し、場合によっては指導する「リーダー」という立場の人がいて、そのリーダーに従うフォロワーがいる。これ、割と普通の形です。

まさにトップダウン、一極集中、ピラミッド型、中央集権的な在り方だと思います。従来は、そのやり方が効率的だったし、うまく物事が進んできた。でも、そろそろ立ち行かなくなってきたんじゃないのか、という気がしています。

リーダーは間違わない、常に正しい、いつも組織を引っ張って、弱音を吐かず、力強い。指針や方針を示し、先頭に立って進む。

フォロワーはリーダーの言うことを聞いて、秩序を持って動く。権限委譲も限定的だし、基本的には「リーダーの決断に従う」。

でも、この仕組みはもうそろそろ、終わるんじゃないかと見ています。というか、優れたリーダーは昔から、こうではなかったのかもしれません。

松下幸之助さんは 部下が100人いたら、自分の偉さは101番目だと思えるのが真のリーダーだ」と言ったそうです。そして、口癖のように「キミ、どう思う?」と社員の意見を聞いたと言います。

この幸之助さんの話、僕が想像するリーダーとは違います。でも、すごく良いなあと思います。

僕が理想とする社会は、色々な人がいて、それぞれに得意なことや好きなことを持ち寄って、お互いを助け合いながら生きられる社会です。誰が組織をリードするよりは、誰もが何かの事柄で中心的な存在を果たし、それをみんながサポートする社会。

ある事柄では中心的役割を果たす人も、ある事柄ではサポートに回る。逆もまたそう。全員がどこかで主役であり、その主役を全員が脇で支える。で、ある場面では支える側に回る人も、別の場面では主役になる社会。

中心人物は弱音を吐いて良いし、組織を引っ張らなくてもいい。正しい指針を出さなくていい。ただ、中心で人の意見を聞きながら、物事を進めればいい。

その場では、その人が主役で、その人が中心。でも、別の場ではその立ち位置が変わる。上下関係はなく、役割の違いだけがある。そんな社会、組織が増えたら良いのにね、と思います。