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陽気でポップでゴキゲンなおっさん


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(また本文と無関係の、最近食べたつけ麺w)

ニーチェは、こんな言葉を残しています。「不機嫌は怠惰である」。ゲーテもまた。「人間の最大の罪は、不機嫌である」。

人間やってりゃ、そりゃ気持ちが落ちることもあるし、イライラすることもある。テンションがさがることも、場の空気と自分の気持ちにギャップを感じることもある。

僕自身、昔はローギア運転人間でした。基本テンション低め。人生ロクでもないと思って、悲観して、つまんねぇなと思って生きてきた。

思春期を過ぎて、そこまではヒドくなくても、やっぱり常にゴキゲンとまではいかなかった。仕事はツラいし、人間関係はシンドイし、とかね。

だから、テンションの高い人とかニガテだった。コミュニケーション能力の高い人が羨ましくて、その分毛嫌いしてた。まあ、コドモっぽい人間でした(というと、子どもたちに失礼だけど)。

でも、最近気がついたのは、「自分の意識次第で、環境は変わる」ということ。

何かイラッとすることがあったら、とりあえず口角を上げてみる。電車が遅れたり、取引先がムチャな依頼をしてきたり、その他諸々のイライラがやってきたら、とりあえず笑ってみる。すると、案外冷静になる。

と、書いたものの、私もまだ修行の身ですから(笑)、イライラをそのまま受け取ってしまうことも多いっす。

沖縄行きの飛行機に乗り遅れそうになったり(結果、乗れた)、レンタカーの返却時間に遅れそうなのに渋滞に巻き込まれたり(結果、間に合った)、親会社のおじさんに仕事をブン投げられたり(ブン投げ返したw)、友だちの態度に憤慨したり(実は自分のせいだった)。

うん、結構ある(笑)。でも、自分の中で最終ゴールというか、自分がありたい姿を「いつも陽気でポップでゴキゲンさんなおっさん」と設定しているから、あとから(その場でも)答え合わせができる。

「あ。あの時のオレはゴキゲンさんじゃなかったな」とか、「アレ?いま、ご陽気でもポップでもないよね?」とかね。

これは、僕のパートナーに教えられたことも多くて。僕と一緒に暮らしてるパートナーは、良くも悪くも場の空気を作っちゃうヒトなんです。

このヒトがご陽気にイエーイてな感じでいると、その場全体も楽しい雰囲気になる。ところが、このヒトがつまんなそうにしてると、場の雰囲気もガクッと悪くなる。もうね、目に見えるほど。

飲み会で、このヒトがドンヨリしながらケータイなんていじりだした日にゃ、目も当てられない訳ですよ。始まって30分くらいで「うん、お会計、する?」みたいな。極端な話ですがね。

その割に、そのヒトに後から聞くと「え?別に普通だけど」とか言う。その当時は、自分が持ってる影響のデカさに気付いてなかったんだろうね。今はもう、そういうことはほぼ無い。私以上に、ご陽気でいることを実践している。

つまり、自分をコントロールするのは自分の為だけじゃないと、それを見て気づいたのです。だから、不機嫌は罪だし、怠惰だよと。

もちろん、普通にしてるのにテンション低く見られるんだけど。常にアゲアゲとか、めんどくさいんだけど、って思う気持ちもわかる。もちろん、無理にウェイウェイしなくても良い、とは思う。TPOってのもある。でも、やってみて思うのは「どちらかならば、静かにでもニコニコしてる方が、自分は楽しいし、周りも気楽」ということ。

僕の理想は、大切な人や家族、パートナーの葬式に笑顔で参列すること。そりゃ悲しいし、寂しいよ、たぶん。でも、笑顔でいる。悲しみを押しつぶすんじゃない。寂しい気持ちを味わったまま、笑顔でいる。

だって、送り出される側はきっと、残ったみんなの笑顔を見ながら旅立ちたいはずで。私が見送られる側なら、間違いなくそうで。だから、一番近しい自分が笑って見送る。我慢じゃない。そうしたいから、そうするんだよ。

そう考えれば、普段の生活をゴキゲンに過ごすのは、トレーニングみたいなもんですよ。しかも、自分も周りにいる人の気分も良いトレーニング。

こうして発表しちゃうと、油断してると「お。いまアイツ、不機嫌じゃね?」とか、「ちょっとポップさ足りてないよね?」とか言われちゃう(言ってもらえる)オマケ付きではあるんですよね(笑)