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3月11日


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なんかこう、身構えてそれっぽいことを書こう、というつもりはないのだけれど。

 

それにしても、もう6年も経つのか、という思いが強い。僕の中では「ついこの間のこと」という感覚が続いている。

 

ちょっとした瞬間に「ああ、あれは震災前のことだったか」とか「あの人に会ったのは、震災後だったっけ」とか、2011年3月11日を何か、起点というかポイントのように考えることがある。

 

戦前、戦後に近いかもしれないけれど、たぶん少し違う。

 

ともかく。僕の中で、2011年3月11日という日が、ものすごく大きな意味を持った(あるいは、持っている)ことは間違いない。

 

■幸いにして、だけれども

僕自身が被災したわけではないし、直接の友人、知人を亡くしたということもない。ただ、知り合いが被災したり、知り合いの友人が亡くなったという話は聞いた。

 

「震災の記憶を風化させてはいけない!」みたいなことを言うつもりはない。人は忘れる生き物だし、忘れないとやってけない、ということだってあるはずだ。

 

ただ、僕自身はたぶん、あの日以前の感覚に戻ることはもうないと思う。僕はあの日以降、都市生活の脆弱さを痛感したし、電気に頼り切っている生活に氣付いた。

 

そして、一連の福島第一原発の事故について見ていて、自分の手に負えない物は使わない方が良いんじゃないか、という考えに至った。

 

いや、この辺に関しては色々ご意見あるだろうけれど、僕の見解としては原子力を発電に使うのは、ちょっと無理がある、というか、手に負えてない感じがする。ただまあ、この辺は今回の記事で言いたいことではないので、この辺にする。

 

■自然と共存する生き方について

僕が震災を経験して感じたのは、人間はどうやったら、もっと自然と共存していけるんだろうか、ということだった。

 

津波が来るから、それに耐えられるだけの堤防を作りましょう。うん。それもまあ、理屈としては分かる。でも、それでどれだけの津波を防げるんだろうか。そして、仮に津波を防げたとして、海の前にそんなバカでかい壁をおっ立てて、その陰で生活するのが、本当に幸せなんだろうか。

 

こう書くと、お前は東京にのうのうと住んでるからそんなことが言えるんだ、と言われるかもしれない。確かに。でも、日本のどこに住んでいても(いや、下手すりゃ世界のどこにいても)、自然の脅威から完全に逃げおおせることなんてない。ならば、どうすれば自然とより共存できるかを考える方が、僕は理屈が通っている、と考えている。

 

自然をどうにかすることは(今のところ)できないわけだし、それならばなおのこと、自然と上手に生きていく、あるいは、自然の一部としての人間として、いかに生きていくかを考える方が、はるかに良いんじゃないかと思っている。

 

■この記事、まとまらない予感

このところ、「自然はすごいな」と思う。そして、時々「怖いな」とも思う。そういう時、どうすればより、人間が自然の一部として、自然な形で生きていけるのかを考えたいなあと思っている。

 

もちろん、都会に暮らして、真四角な部屋の中に住んで、電気を大量に使って、時に排気ガスをいっぱい出す乗り物に乗っている僕が言うのも何だとは思うんだけども。

 

うん。予想通りまとまらない(笑)。ただともかく、3月11日は僕にとってとても特別な日になっているということと、人間はもっと自然に還っても良いのかもしれないね、と思っていることだけ伝われば、今日のところはそれで良いです。