自由

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歳をとればとるほど、経験を重ねれば重ねるほど、さらに自由になっていく。

 

そんなことを考えている。

 

例えば。

 

ぼくは温かいそばを以前全く認めていなかった。そばは「ざる」か「もり」である、と頑なに決めていたのである。夏はもちろん、冬でも。

 

が、最近は温かいそばもいいよねえ、美味しいよねえと思っている。

 

松屋に行ったら牛めしを食べるものだと思っていたけれど、カレーもいいよねえ、と最近はよくカレーも食べる。カレギュウもいいよね。

 

食べ物の話ばかりで恐縮ですが・・・。

 

こういうことは、実は経験してみて、幅が広がったりする。温かいかき揚げそばの美味しさは、食べてみないとわからない。

 

ましてや、コロッケそばなどという邪道極まりないものも、食べてみると「うまいやん」となったりするものである。

 

こうして、自分の頑なさやこだわりを外していくことで、自分の枠や許容範囲が広がっていくのを感じる。

 

それによって、どんどん自由になっていく。

 

こだわるのは、場合によっては良いことだけれど、つまらないこだわりは自分の枠を狭める。

 

この世の中に「こうでなければならない」なんてことは、実はない。

 

どうあってもいい。

 

そんなことを感じている。

 

であるならば、過去の自分の経験や知識、常識に囚われず、様々なことにチャレンジし、トライし、経験した方が、人生は豊かになるんじゃないか。

 

しょせん、ぼくらが経験したことなんて、世の中の森羅万象のうちの一部でしかない。

 

ならば、手の届く範囲のことは、試してみればいい。「やってみたい」と、自分の心が動くなら。

 

その結果、違ったならば「やっぱ違うねぇ」と撤退すればいいだけのこと。

 

それだけのことである。

 

そこに失敗もなければ、良いも悪いもない。そう、最近の流行りの本もこう言っている。『死ぬこと以外はかすり傷』だと。

 

ぼくらは現状維持が大好きである。

 

とりま死なない「いま」を生きたがる。この先に何が待っているかわからない、新しいチャレンジよりも。

 

それはそれで良い。ただ、ぼくは歳をとればとるほどに、自由に、軽やかになっていくジジイでありたい。

 

その方が、ぼくがうれしいから。

 

ぼくの周りには、そんなカッコイイ大人が増えてきた。負けていられないのである。

 

かき揚げそばを頼んだのに、コロッケが載ってきて、「こんなもん食えるか!」と言ってるような大人では在りたくないのである。

 

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人の本分

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人には、「本分」というか、生まれ持った性質というか、もっと飛ばした表現をするならば「生まれてきた目的」というものがある。

 

これは、人間的な好みとか、好き嫌いとか、どうありたいかも、もちろん作用するものだけれど、もっと根源的なものだったりもする。さらに言うと、本人がそのことを忘れてしまっていることもある。

 

例えばぼくは、本当は人前に立って目立つのが好きだと思っていたけれど、キャラクター的には(あるいは、「仕様」的には)裏方周りをやる方が得意だし向いているし、実際には好きらしい、ということに最近気づき始めた。

 

ぼくみたいなジミメン(地味なメンバー)は、どんなに頑張ってもアカレンジャーにはなれないし、キムタクにはなれない。獣神サンダーライガーにもなれない。

 

下手すりゃゴレンジャーにもスマップにも入れない可能性が高い。プロレスを見ながら、ぼくがずーっと地味だ地味だと思っていたエル・サムライだって、実はすごい人なのである。

 

でも、ゴレンジャーだって、たぶん自分たちでバイクや車のメンテナンスをしているわけではないだろうし、武器の開発なんかも自分達ではできないだろう。

 

スマップ(ああ、ここでスマップを例にとるべきではなかったか。でも他わかんないからいいや)にしたって、衣装さんや音声さん、メイクさん、舞台設営やプロデューサー、そのたもろもろの協力があってこそ、ステージで輝けるわけだろうし、テレビで活躍できるわけだ。

 

レスラーだってそうだ。様々な人々の協力、支えがあってこそ、スポットライトを浴びることができる。実は、チャンピオンベルトに挑戦できるということは、そういう諸々を考えるととんでもなくものすごいことなのである。

 

そう。誰もがアカレンジャーを目指さなくて良い。さらに、誰もがゴレンジャーにならなくて良いのだ。

 

とはいえ。

 

ぼくらはやっぱり、ゴレンジャー、特にアカレンジャーに憧れるわけだし、スマップ、特にキムタクに注目してしまうわけである(いや、これは人によるか)。やっぱり獣神サンダーライガーに憧れるし、そうでなくても、エル・サムライのようにリングに上がってスポットライトを浴びたいと思う。

 

ただ、それは実は「本当の自分の願い」ではない可能性もある。

 

ハデメンは、どうやったって目立ってしまう。どこに行っても目立つ。別に表に立ちたくないのに、なぜかリーダーやキャプテンを任されてしまう。静かに飲んでたいのに、なぜか乾杯の音頭を頼まれる。

 

それはそれで、勘弁してくれよ、と思うかもしれない。

 

でも、それはもう宿命のようなものだし、たぶんハデメンたちのDNA、あるいは魂レベルにそれが刻み込まれてしまっているのだ。

 

逆に、ぼくらのようなジミメンたちには、その要素はない。ただ、ハデメンたちにはない喜びが確実にある。

 

ハデメンたちが舞台に上がって華やかに活躍している裏で、その進行を滞りなく進めているのが、実は大いなる喜びだったりする。

 

ハデメン=正義、カッコイイ、ステキ、憧れ、花形、というのは固定観念である。

 

この固定観念を外してみると、実は、自分は表舞台よりも裏方の方に喜びを感じる、と思う人も多いはずなのだ。

 

まとまらないのだけれど。

 

言いたいのは、もしあなたが、ハデメンを見て嫉妬したり、うらやましくなったり、自分の華のなさを憂いたりしたならば、2つの可能性が考えられる、ということ。

 

一つは、ハデメンのように活躍できるのに、いまそうじゃない、という悔しさ。

 

もし、あなたが表舞台に立つことこそが喜びであるならば、そこに至るまでの努力をし続ければいい。それはきっといつか、花を咲かせる。

 

アカレンジャーでなかったとしても、アオレンジャーとしてかもしれない。キレンジャーだって、ぼくらジミメンからすればすごい存在だ。

 

獣神サンダーライガーではなく、エル・サムライとしてかもしれない。しつこいようだが、それだって本当に素晴らしいことだし、とてつもないことだ。

 

もう一つは、あなたが自分をジミメンと認識していないか、認めていない可能性。

 

そしてもし、あなたが表舞台に立つこと以外に喜びを見出せるのならば、その場所こそが、あなたの舞台である。

 

たとえ、スポットライトが当たらなくても、

たとえ、歓声を浴びることがなくても、

たとえ、チャンピオンベルトを高々と掲げることがなかったとしても。

 

その場所こそが、あなたが輝ける仕事場である。

 

その場所こそが、あなたにとっての闘いの場であり、舞台であり、リングなのである。

 

ぼくは、そんな自分自身のフィールドで100%の力を発揮し続けるあなた方に、こっそりとチャンピオンベルトを贈呈したいと思う。

 

 

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感情は味わい

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元来、感情にポジティブもネガティブも、プラスもマイナスもない。

すべては「空」である、と般若心経では説いている。

 

とは言え。人間をやってると、ネガティブな感情が生まれてきて、あーこういうのやだな、こういうの好きじゃないのになと思うことってのは多々ある。

 

そんなとき、ついつい蓋をしたくなる。なかったことにしたくなる。

無視もしたくなるし、氣付かなかったふりもしたくなる。

 

あるいは、その感情にどっぷり浸かってしまうこともある。

そこからぬけだせなくなることもある。身動きがとれなくなることもある。

 

でも。すべてが「空」だとするならば。

その感情全てにポジティブやネガティブ、プラスやマイナスという色を付けているのがぼくら自身だとするならば。

 

こんなにみょうちきりんなことはない、と氣付くはずである。

 

ぼくらは、良いも悪いもない出来事を見て喜んだり怒ったり、笑ったり泣いたりして、言わばこの世を遊んでいる。

全ては味わいであり、楽しみですらある。

 

怒っているとするならば、怒りたい。

悲しんでいるとするならば、悲しみたいのである。

 

いや、ものすごくきっついことを書いている自覚はあるし、読む人によっては傷付くかもしれない。でも、たぶん世の中はそういうことなのだ。

 

裏を返せば、ポジティブでなければならない、ポジティブ万歳、ってのもぼくは採用しない。この世の中には「出来事」があるだけで「ポジティブ」も「ネガティブ」もないからだ。

 

ただ、自分がその出来事を見て嬉しいか、楽しいか、腹立つか、悲しいか、だけのことだ。

 

ぼくがやりたいなと思っているのは、その感情を味わって手放す、そのスピードを上げることだ。

 

究極を言えば、「感情」も電気信号である。何かを見て、脳がどう判断するか(たぶん偏桃体が「快」か「不快」か、何か感情をラベリングするんじゃないかな)、でしかない。だから、本当は長くても6秒くらいで消えるらしいのだ。

 

では、なぜその感情という電気信号がぼくらを悩ませるのか。

ぼくらがそこにフォーカスするから、である。

 

牛が一度胃に入れた牧草をまた口に戻して食べるように、ぼくらは感情を反芻する。そして、その想いを強めていく。だから、感情が長続きしていく。

 

それでもいい。いや、それこそが人間らしい、とすら言えるかもしれない。

 

人間は感情の生き物だ。

情熱はとんでもない能力や馬力を発揮させるし、情熱を載せた言葉は人を動かす。これはAIにはできないことだろう。

 

だからこそ、上手にフォーカスする必要があるんだろう。

 

怒りや悲しみは6秒間、きちんと味わい切って、次に向かう。

 

「こういうのがイヤなら、こうしよう」とか

「こうされるのが嫌いなら、この人とは距離を置こう」とか

「こういう悲しいことが二度と起こらないようにしよう」とか。

 

怒りや悲しみに浸かったままでいるのが好みならば、それでも良いのだけれど、それを続けるにはあまりに人生は短い。

 

感情は6秒で消えるものだと思っておけば、怒りや悲しみにフォーカスして長引かせることもないし、やりたいと思ったこと(=情熱)が続かなくてションボリすることもない。

 

そう、フォーカスしなければ消えていくんだから。

 

やりたい!という情熱にフォーカスしていないから、火が消えてしまうだけだ。

 

それで、やりたいことが続けられない自分を責めたり、こんなんじゃダメだと思うのは、もったいないぜベイベー、と言いたいのだ。

 

自分の氣分が悪くなるような感情にはフォーカスせず、6秒間味わい切って次へ行く。ときには、人に頼ることもあるかもしれない。それで良い、とぼくは思っている。

 

そして、自分の氣分が良いこと、やりたいこと、生まれた情熱の種火にフォーカスして、空気を送り込んで、大きな火に育てていく。

 

ぼくはそれをしていきたい。

その火が消えかけたら、再び点火すればいいだけのことだ。

 

すべては「出来事」でしかない。

受け止めて、次へ進もう。人生は短い。

 

そう、昨日帰りのスーパーで買ったシュークリームの、クリームの少なさに激怒しているヒマなんてないのである。

 

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『にぎやかだけど、たったひとりで』

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バリ島に、日本人の大富豪がいる。

 

丸尾孝俊さん。

「兄貴」とか「丸さん」と呼ばれている。

 

何度か、このブログでも丸さんのことは書いたし、関連書籍もたくさん出ている。

 

『神様はバリにいる』という、堤真一さん主演の映画のモデルというか、あの映画はほぼ丸さんの話である。

 

『にぎやかだけど、たったひとりで』は、そんな丸さんのところに7年間通ったという作家、吉本ばななの著作、というか、複数人で話を聞いたものを、代表してばななさん名義で出版したんだそうな。

 

兄貴関連の本、略して「兄本」(いや、そんな言葉あるか知らんけど)はたくさんあるけれど、今回の本は特に「人としての丸さん」にフォーカスが当たっているように感じる。

 

ちなみに『大富豪アニキの教え』と『出稼げば大富豪』は、両方とても面白いので、『にぎやかだけど、たったひとりで』と合わせて読んでみることをおすすめする。

 

  

 

また、他の書籍と大きく違うのは(これはばななさん本人も書いているけれど)女性が書いた、あるいは、女性目線が多く入っている、という点じゃないかと思う。

 

さてさて。いつにも増して前置きが長い・・・。本題に入ろう。

 

読んだ感想としては、「いつもの兄貴節だなあ」と思う。兄貴の言うことは、基本あまり変わらない。

 

「人を大切にしよう」

「恩を忘れないことが大切」

「相手を尊重して、ご機嫌にする」

 

一見すると、当たり前のことばっかりだ。

そして、古めかしい道徳の教科書や、お説教じみた話のようにも見えかねない。

 

ところがどっこい。丸さんがすごいのは、世界情勢や世の中の動きをきちんと冷静に見通した上で、こういう発言している、とぼくは感じている。

 

例えば、本書にはこんな内容があった。

 

日本も含め、今後さらにグローバル化が進むだろう。子どもたちも国際社会の中で生きていかざるを得なくなる。

 

さて、その時大切なことは?

 

英語? 知識? ビジネススキル?

 

丸さんは「お年寄りを敬うことを身につけておくこと」だと言う。「やっぱり、日本人のモラル、道徳って素晴らしいね」と言われたら、日本を好きになって、応援してくれる人が海外に増えるだろう?と言う。

 

成功者の本、と言うと、いかに成功したか!とか、成功するための20の法則!みたいなのが多い。けれど、丸さんの言うことはある意味「普通」過ぎて、目新しさはない。これさえやれば大富豪!みたいなノウハウ、ハウツー的なことも言わない。

 

ただ、人として大切なこと、言い換えれば、丸さん自身が大切にしたいと思っていることが書いてある。

 

丸さんとしては、これを大切にしたから大富豪になった、成功したと思っている(はず)だから、ある意味それが「成功哲学」であり「成功の法則」なんだろう。

 

裏を返せば、そういう「当たり前」、「普通のこと」を、ぼくらはどれくらい大切にしているだろう?

 

あああ。

 

ぼくは丸さん(「兄貴」になったり、「丸さん」になったりするのは、ご容赦願いたい) に三度会っていて、その人柄や温かさのファンになっているために、どうにもこうにも書きたいことが多くなってしまう。

 

そういう僕が読んでいるから、という贔屓目を込みにしても、この本は本当にとてもよい。丁寧に書かれているし、まるで丸さんがそこで実際に関西弁ボーボーでしゃべっているかのような雰囲気も味わえる。

 

その上で、ばななさんの視点が入ると、さらに面白みがグッと増す。

 

「本当に大切なものって何だろう」

「人が生きていくとは、どういうことなんだろう」

「で、今のぼくらにできることは、何?」

 

読み終わった後、ぼくはそんなことを考えた。

 

あなたは、何を思うだろう。

 

 

 ↑ ↑読書会でもやってみようかしらん。

 

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「ファクトフルネス」

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『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』

という本を読んだ。

 

とか、偉そうに書いてるけども、

知人に「面白いよ」と言われて

それに乗っかって読んだんだけども。

 

乗っかって良かった。

大変面白かった。

 

最近は、大きめの本屋さんに行くと

平積みで置いてあるから、

見たことある方もいるかもしれない。

 

帯によると、

ビル・ゲイツがいたく本書に感銘を受けて

大卒の希望者全員にプレゼントした、

とある。

 

まあ、あれだけの資産家なら

そのくらい・・・と思わなくもないけれど、

それはともかく。

 

この本が面白いのは、

とにかく「FACT=事実」に基づいて

物事を見よう、という姿勢に

徹底的に立っていること。

 

もちろん、この本に書いてある「事実」が

本当に「事実」かどうかの裏を取る必要は

あるかもしれない。

 

ただ、本書の著者はきちんと

データの出典も明らかにしている。

 

ぼくらはついつい、世界に対して

「世の中は悪い方へ向かっている」

「貧富の格差は広がり続けている」

「貧しい子どもたちは増え続けている」

といったイメージを持ちやすい。

 

しかし、著者はそのイメージを

真っ向から否定する。

もちろん、「ファクトフル」にだ。

 

実は、世界で貧困に苦しむ人々は

年々減り続けているし、

何らかの形で電気を使える人たちは、

世界の全人口の80%にまで及ぶ。

 

でも、ぼくらはついつい、

「途上国は・・・」とか

「アフリカの方では・・・」とか

アタマの中のイメージを優先させてしまう。

 

著者は、ぼくらはついつい物事を

「ドラマチック」に見る、と指摘する。

 

確かにそうかもしれない。

 

データに基づいて考えるより、

イメージで物事を

判断してしまうことも多い。

 

いや、それが悪いわけじゃない。

 

そういう傾向にある、ということを

知っといた方が良い、という話だ。

 

むちゃくちゃに聞こえるかもしれないが、

ぼくに言わせれば、

「常識」や「世間体」なども

ファクトフルじゃないね、と思う。

 

誰がその常識を決めたのか?

 

誰がそう言ってるのか?

 

あなたの目にはどう映っているか?

 

実際のデータはどうなっているか?

 

あなたはどう感じるか?

 

そう考え、それに従う方が、

よほどファクトフルじゃないか。

 

誰かが「そんなん無理だよ」と言っても、

客観的なデータや、自分の直感が

「イケる!」と思うなら、

それは多分イケてしまう。

 

ただ、多くの人は

わからないこと、未知なこと、

伸るか反るかのことには

足踏みをしてしまう。

 

投資なんかも、そうかもしれない。

 

「投資」と聞いただけで

「いや、結構です」

「お金減っちゃうんでしょ」

「なんか怖い」

的なイメージで語られることが多い。

 

でも、投資にも色々ある。

元本割れの可能性はあるけれど、

限りなく低いものから、

ハイリスクハイリターンなものまで、

多種多様だ。

 

それを理解して

「やる・やらない」を

決めるのか、それとも、

「投資こわい」のイメージで

思考停止するのか。

 

あ、当ブログは別に

投資案件をご紹介するブログでは

ございません。あしからず(笑)

 

どちらも、悪いことじゃない。

その選択が氣分が良いならば。

 

ただ、自分自身の物の見方や

直感を信じてみても良いんじゃない?

と思うことは、ある。

 

「自分の見たものしか信じない」

では、見聞が狭くなる。

 

でも、

「あの人がこう言ってるから」

「みんなそうしてるから」は、

どう考えても

「ファクトフル」であるとは思えない。

 

であるならば。

 

自分が判断を下すに十分かつ客観的な

データや資料を集めて、

そこからどんな結論が導き出せるか。

 

自分のアタマで考えることこそ、

「ファクトフルネス」な姿勢と

言えるんじゃなかろうか、と思う。

 

「ファクトフル」に生きる、とは

自分の足で立って生きること、

なのかもしれないね。

 

 

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可能性を信じる

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ぼくはいま、「楽読」という

速読のメソッドを伝える

インストラクターを中心に

活動をしている。

 

前回、ぼくはブログに

「あなたの情熱を燃やし続けろ」

と書いた。

 

abenob2010.hatenablog.com

 

そこで。なぜぼくがいま、

楽読のインストラクターという役割に

情熱を燃やしているのかを

書いていきたい。

 

・・・・・・・・・

 

ぼくは、ひとにはそれぞれ、

多くの可能性が秘められていると

思っている。

 

ひとそれぞれに、それぞれが

持って生まれた才能が必ずある、と

信じている。

 

そしてひとは、本来その才能を

活かして生きることが幸せで、

そのひとの能力を

最も発揮できる道だと思っている。

 

一方で、多くのひとが

自分の可能性を信じていない、

自分の才能を見ていないように

感じることもある。

 

うまくいかないだろうから、やらない。

失敗したくないから、あきらめる。

 

もちろん、それはそれでもかまわない。

 

でも、自分の、あるいはひとの

可能性に目を向けられるひとが

もっと増えたら、楽しいとも思う。

 

ぼくの場合、かつては、

自分には特に才能もないし

特技もないと思っていた。

 

だから、自分の可能性について

考えてみることもなかった。

 

文章を書くのは好きだけれど、

小説を書いてみても、

途中で挫折するばかり。

 

ぼくには文章を書く才能は

ないものだと思っていた。

 

ところが、楽読を始めてみて、

こういったことがただの

「思い込み」だったことに氣付いた。

 

楽読では、速読のメソッドを通じて

(大雑把に言うと、だけど)

「思考する」機能を弱める。

 

そして、「感じる」機能を

より活性化させる。

 

言い換えると、

感覚、感性が鋭くなってくる。

 

そうすると、

自分がどうしたいか?が

より明確にわかってくる。

 

ぼくの場合、小説のように、

ゼロからイチを生み出すことには

才能がなかったかもしれない。

 

一方で、ひとの話を聞いて

想いを引き出したり、

それを文章にまとめるのは

得意だし、好きだということに

改めて氣が付いた。

 

文章を書く仕事=小説家

 

という考えに縛られていたら、

たぶんぼくは、文章を書くこと

そのものを捨てていたと思う。

 

こういうことは、

みんなあるんじゃないか、

と思っている。

 

できない、無理だと思って

自分の可能性に

ふたをしてしまうこと。

 

自分の可能性を見ずに、

なんとなく生きることを

選択すること。

 

もったいない、とぼくは思う。

 

楽読を通じて、ぼくは、

ひとが自分の可能性に

氣付くきっかけを提供したい。

 

ぼく自身も、

目の前の人の可能性を

100%信じるひとでありたい。

 

楽読のメソッドを通じて、

「自分は本当はどうしたいのか」

「どう生きていきたいのか」

 

こんなことに氣付くひとが増えたら、

より良い世界になるだろう。

 

そんなことを考えながら、

ぼくは楽読のインストラクターを

いま、やっている。

 

ぼくの役割は、

無限の可能性を信じること。

 

それは、

ぼくの可能性を、はもちろん。

あなたの可能性も、同じように。

 

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情熱を燃やし続けろ


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情熱を燃やし続けろ。

 

あなたの本分を生きよう。

 

究極、ぼくが言いたいのは

そういうことなんだわな。

 

意味もわからず、

理由もなく、ただただ

あなたが燃えるもの、

熱くなるものを追い求めて生きよう。

 

あなたがこの世に生を受けたのは

偶然であり、奇跡である。

ただ、必然でもある。

 

ぼくは中学生くらいから、

「なぜ生きているのか」

「何のために生きているのか」が

よくわからないまま

生きてきた。

 

さしたる特技もなく、

これといった才能もなく、

ただ漫然と生きている。

 

そう思ってきた。

 

でも、違うんよ。

 

自分の中にある

情熱の原泉に触れて、

それを爆発させていないだけ。

 

ひょっとしたら、あなたも。

 

その情熱は、

なんだっていい。

 

仕事でもいい。

愛するひとのためでもいい。

家族のためでもいい。

 

日本のため、

世界平和のためでももちろん。

 

ぼくらのなかには、

確実に、情熱のたねがある。

 

そこに目を向けよう。

それを見つけよう、

そして育てよう。

 

それこそが、

ぼくらが生まれた意味であり、

本分である。

 

これはもう、間違いない。

 

ひとびとがそこで生きたなら、

この世界は変わる。

 

ぼくは今日、あるいはいま、

それを確信した。

 

だからこそ、

ぼくがそこで生き続ける。

 

ぼくがいま情熱を燃やすもの、

というならば、

間違いなく楽読、という

速読メソッドを世に伝える

ことになる。

 

なぜか。

 

それは、

明日か明後日のブログで書く(笑)

たぶん(笑)

 

ただ、いまは、

あなたがあなたの本分で生きる、

あなたのなかの情熱を認めて、

爆発させろ、とだけ言いたい。

 

そう、もちろんこれは

ぼく自身に呼び掛けていること、

でもある。

 

哀しいこともあるだろさ

苦しいこともあるだろさ

けれどぼくらはくじけない

泣くのはいやだ、笑っちゃお

進め

 

そう。進め。突き進め。

 

あなたのなかの情熱に向かって。

 

 ↑むかしのTV番組とかアニメの主題歌って、熱いよね。

 

 

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