本音

f:id:abenob2010:20181014235606j:image

 

○お知らせ その1○

固定概念を手放して、

人生を楽に楽しく先読みする速読 『楽読』の体験会はこちらから

rth.co.jp

  

○お知らせ その2○

10月25日(木) 19時30分~

宇宙の法則を活かして、 より豊かな人生を送るためのカリキュラム

「リターンスクール」体験会を 東京・お茶の水でやります。

 

ご興味ある方は、 下記フォームからお申込みください。

 

 本音とはなんぞや

友だちと話をしていて、

「本音」とはなんだろね、という話になった。

 

本音とは、文字通り「本当の音」ということだろう。

 

自分が思ったこと、感じたことを

ありのままに表現する、ということ。

 

 

現代社会を生きるぼくたちは、

「本音」を隠して生きることがとても多い(と感じる)。

 

 

本音を出すというのは、

結構勇氣がいる(と、ぼくは思う)。

 

自分の深いところからの音であるわけで、

そこにはおそらく、

自分の弱さや、怯えや、恐れや、悲しみや、

ひとにはあまり見せたくない感情も

含まれている可能性がとても高い。

 

「こんなこと言わない方が良いかな」とか

「こんなこと言ったら、相手が怒るかも」とか

考えてしまうことも多いと思う。

 

自分の本音を押し殺して、

ブレーキを踏みまくって、

ひととコミュニケーションを取っている

ケースも多いんじゃないか、と思う。

 

そう。表面的に上手く取り繕った方が、

相手との関係は良好に、長続きするかもしれない。

 

もちろん、本音だから相手を傷つけて良い、

ということにはならない。

 

ただ、自分の本音を隠して、表面的な付き合いを

続けていくってのも、なんだかねと思ったりする。

 

角度を変えると、

自分の本音に氣付いていないこともあると思う。

 

例えば、誰かに対して激しく怒っているとき。

 

実はその裏側には

自分の寂しさや哀しさ、悔しさ、

あるいは残念な氣持ちがあったりする。

 

そこに氣付く前に(あるいは氣付かないために)、

ひとに対して猛烈に怒ることもあると思う。

 

自分の本音を、怒りという感情に変えて

表現しているわけだ。

 

こういうことも、あるんじゃないかと思う。

正直に言えば、ぼくにはあった。

 

表面的に出てきた感情の裏側、あるいは根底を

丁寧に見ていくことで、自分の本音が

見えてくることもあるかもしれない。

 

で。

 

本音を出さずに生きていくのは、

けっこうしんどい、とぼくは感じている。

 

本当に思っていること、感じていることを

表現できないというのは、なかなかに辛い。

 

ただ、本音のコミュニケーションを取れる相手、

というのは残念ながら限られているとも感じる。

 

さて。

 

あなたは、誰かに本音を出せているだろうか。

自分の本当の音に氣付けているだろうか。

 

もし、答えが「ノー」または「?」だったら、

一度楽読の体験においで、と思う。

 

楽読は、目と脳のトレーニングを通じて、

思考のブレーキを外していく。

 

そうすることで、本音を出せる自分になる。

そして、それを許容してくれる仲間がいる。

 

そりゃそうだ。

みんな同じトレーニングをしてるんだから、

みんな本音を出し合っていることになる。

 

自分は本音を言うけど、ひとには言わせない、

なんてことはあり得ないわけだ。

 

そういう場に身を置くことで、

あなたの中の何かが変わる。

これは保証する。

 

騙されたと思って、一度来てみたら良いと思う。

「伝える」と「伝わる」


f:id:abenob2010:20181008003557j:image

 

残念ながら、ぼくには

ひとに何かを伝える能力が

まだ足りてないんだなあ、と

思うことが最近立て続けにあった。

 

これは、スキルの問題だけではない。

むしろ、人間性かもしれない、と思っている。

 

例えば、全く同じことを言ってたとしても、

尊敬しているAさんから言われたら

スッと受け取れるけど、

そうでもないBさんから言われても

受け取れない、ということはある。

 

というか、ぼくにだってある。

 

だから、仕方がない。

 

ということは。

 

相手に自分が言いたいこと、伝えたいことが

相手に伝わらないということは、

結局、ぼく自身の「伝える力」がその程度、

ということに他ならない。

 

残念ながら。

 

そんなこんなで。

 

ひとに何かを伝えるときに、

必要なことは何だろう、と考えた。

 

話術なのか、

論理的思考や展開なのか、

説明のわかりやすさなのか。

 

うん。そういう要素ももちろんある。

 

でも、結局は、

伝えようとするひとの

「想いの強さ」や「想いの純粋さ」

なんじゃないか、と思った。

 

それを「迫力」と呼ぶひともいれば、

「説得力」というひともいる。

あるいは「熱量」というひともいるかもしれない。

 

「オーラ」とか「波動」とか

「バイブス」というひともいるだろう。

 

ともかくも。

 

そういう言語の範疇を超えたところにあるものが、

相手に想いが伝わるか、伝わらないかを左右している。

 

そんなことを考えた。

 

からして。

ぼくは言語以外のものも、磨き続けたいと思う。

 

なんのために?

 

ぼくが感じている「何か」を

誰かに伝えることが、

ぼくにとっての喜びだから。

 

そして、その相手にとっても、

きっと何か役に立つはず、と

ぼくが勝手に想っているから。

 

自分のことは、自分ではわからない。

ぼくは、そう思っている。

 

それは、ぼく自身もそう。

そして、ひとに対してもそう感じている。

 

つまり、相対した相手のことについて

ある部分では、ぼくの方がよく見えていると

ぼくは思っている。

 

そのひとが持っている

ホントの魅力、秘められた可能性、

本人が氣付いていない才能やスゴイところ。

 

もちろん、弱点や

さらに良くなる点もあるかもしれない。

 

それをぼくは、本人以上に

見ることができるんじゃないかと

勝手に自負している。

 

現時点では、相手に伝わらないだけで(笑)。

 

だから、「伝わる」ひとになる。

そんな決意をした。

 

そうすれば、

世界はもっと良くなる。

そんなことを勝手に想っている。

 

大袈裟だって笑うかい?

 

 

○お知らせ その1○

固定概念を手放して人生を楽に楽しく先読みする速読

『楽読』の体験会はこちらから
https://rth.co.jp/access/yaesu/seminar

 

○お知らせ その2○

10月13日(土) 17時~

宇宙の法則を活かして、

より豊かな人生を送るためのカリキュラム

「リターンスクール」体験会をやります。

 

ご興味ある方は、

個別メッセージorメールでご連絡くださいね。

味わい切る


f:id:abenob2010:20180922012628j:image

 

喜怒哀楽をストレートに出す、という

ある種実験というか、トレーニングをしている。

 

元々、ぼくは喜怒哀楽の表現が

豊かな方ではないし、

どちらかというと、感情の起伏も

さほど大きいほうではない。

 

いや、ちょっと待てよ。

 

昔は、ちょっとしたことで

カッカしていたので、

感情の起伏が小さいというわけでもない氣がする。

 

ただ、最近はそれをあまり表に出すことがなかった。

 

その「感情を表に出すこと」を、

ここにきて始めている。

というよりも、せざるを得なくなっている。

 

なぜぼくは、

「嬉しい」を全力で表現できなくなったのか。

 

それは、ひょっとすると、

誰かから注がれる嫉妬の目を

恐れていたのかもしれない。

 

なぜ、「怒り」を全力で表現できなくなったのか。

それは、怒りをネガティブなものと

捉えたからかもしれない。

 

哀しみもそう。淋しさもそう。

哀しい、淋しいという感情を

味わい切ることなく、蓋をすることで

ぼくは自分を守ってきた。

 

哀しみや淋しさは特に、

味わい切らずに封印してきた感がある。

 

ここにきて、そういう感情の多くが

溢れ出し始めている。

 

それは、ネガティブもポジティブも、

(正確に言えば、ネガもポジもない)

感じたものを、全て出していいんだよ

という仲間ができたことが

大きいと思う。

 

だから最近のぼくは、

たくさんの感情を味わい、表現している。

 

楽しさ、喜び、嬉しさ。

怒り、憤り、哀しみ、淋しさ、くやしさを味わい、

できうる限り、それらを

そのまんま表現しようと試みている。

 

何度も言うけれど、

それをしないと昇華できないことが

起きているから。

 

正確に言えば、未だにそのいくつかは

昇華し切れていない。

味わい切れていない。

 

また、そういう感情に中途半端に

蓋をしようとしている自分も

いることに氣付いている。

 

ま、それでもいいんだけど。

せっかくだからさ。

 

怒り切って、落ち込み切って、哀しみ切って。

 

その上で、楽しみ切って、喜び切って、

全力で嬉しい、楽しい、ありがたい感情を味わって

生きていきたいなといまは想う。

 

こういう感情を味あわせてくれる

宇宙の采配に感謝。

 

 

 

 

 

 

なんて言えるかボケー

ってのが、いまの素直な感情。

 

本当は。哀しいし、辛い。

でも前を向く。理想を見る。

 

イラっとしたり、

自分の理想と違うことが起きたら

即、理想を見に行く。

 

そんなトレーニングでもある。

感情をすべて認めて、その上で、

理想を見続ける。

 

そんな日々です。

 

 

○お知らせ その1○

固定概念を手放して人生を楽に楽しく先読みする速読

『楽読』の体験会はこちらから
https://rth.co.jp/access/yaesu/seminar

 

○お知らせ その2○

9月24日

宇宙の法則を活かして、

より豊かな人生を送るためのカリキュラム

「リターンスクール」体験会をやります。

 

ご興味ある方は、

個別メッセージorメールでご連絡くださいね。

一人で


f:id:abenob2010:20180909090306j:image

 

やり切る。

 

一人で。

 

ここ数日の間に、ぼくのもとに

届いたメッセージが、この2つ。

 

そのまんま組み合わせれば、

「一人でやり切る」ということ。

 

なるほどね、とも思いつつ。

 

ぼくは、自分の人生において

「やり切った」と思えることが

ないと思い込んでいた、らしい。

 

でも、改めてみると、そんなことはない。

やり切ったことだって、たくさんある。

 

でも、それを自分で認めきれていなかっただけで。

 

ただ、ぼくの人生においては

いつも誰かが、支えてくれていた感覚はある。

 

いまももちろん、それはあって。

たくさんの仲間や、恩人や、

先輩たちが、ぼくを支えてくれている。

 

「一人で」というのは、

何もかも一人きりでやる、ということではない、

といまは受け取っている。

 

頼るべきところは、頼ればいい。

任せるべきところは、任せればいい。

ひとからの意見も聞けばいいし、

誰かと協同で何かをするのももちろんいい。

 

でも、そこに依存は必要ない。

 

ここ最近のぼくは、心のどこかで、

自分を埋めるための何かを探していたんだろう。

 

もちろん、それも悪いことじゃない。

そういうことが必要なひともいるし、

そうすることで生きやすくなるひともいる。

それが必要なタイミングもあるだろう。

 

でも、いまのぼくには、それは必要ない。

ようやくそう思えるようになった。

 

一人で、やり切る。

 

自分自身の声を聞き、感性を信じ、

自分自身を100%認める。

 

楽読には、「クレド」という

信条というか、行動指針みたいなものがあって。

 

第一条が「自我自賛し、波動を上げて生きます」。

 

自我自賛とは、できた、できないではなく、

自分自身をしっかりと認めること。

自分を尊い存在だと認識すること、と

ぼくは捉えている。

 

わかってはいたんだけどね。

なんだろうね。

そこをやり切れていなかった。

 

ぼくは、ぼくの道を往く。

あなたは、あなたの道を往く。

どこかで交わるのならば、それはそれ。

どこかで助け合えるなら、

それはとてもうれしいこと。

 

でも、あくまでも、それぞれが

一人、個として生きること。

自分自身とのつながりを大切にし切ること。

 

そこからしか、本当の繋がりは生まれない。

そこからしか、次のステップは見えてこない。

 

なるほどね。

 

これが腑に落ちると、

過去の自分を責めたくなる(笑)。

いままで、何をしてたんだ、ぼくはと。

 

でも、それはそれ。

そのときは、それが必要だったんだと思う。

 

一人を生きることが、

みんなのためになる。

 

ぼく自身としっかりと手をつなぐことで

さらにみんなと深くつながり合える。

 

そんなことを考えている。

 

だからか、と、

いろんなことが紐解け始めている。

 

改めて、一人を生きる、を決める。

 

今日もありがとうございます。

 

 

○お知らせ その1○

固定概念を手放して人生を楽に楽しく先読みする速読

『楽読』の体験会はこちらから
https://rth.co.jp/access/yaesu/seminar

 

○お知らせ その2○

9月24日、

宇宙の法則を活かして、

より豊かな人生を送るためのカリキュラム

「リターンスクール」体験会をやります。

 

ご興味ある方は、

個別メッセージorメールでご連絡くださいね。

焦り


f:id:abenob2010:20180904232416j:image

 

「ない」を見るから、焦る。

このシンプルな方程式に、

いまさらながら、改めて氣が付いた。

 

ぼくには理想があって、

必ずこうなるはず、と思っている。

 

前回書いたブログでは、

握りしめていた理想を手放す、

と決めた。

 

http://abenob2010.hatenablog.com/entry/2018/09/02/132319

 

その結果、

ぼくはいま、その理想の状態ではない

ということを見て、焦っていたのだなと

改めて氣が付いた。

 

焦れば焦るほど、

理想は遠のく。

 

「ない」を見続けているから、

それが現実化する。

 

もし、すでにそうである状態に

自分がいたならば、焦るだろうか?

 

そんなはずはないわけだ。

 

ぼくが少し、理想よりも

早く待ち合わせ場所に

着いてしまっただけ。

 

あるいは、

待ち合わせ場所を

間違えているだけ。

 

理想は、必ずある。

 

早く着きすぎたのなら、

理想が来るのを楽しみにして

コーヒーでも飲みながら、

ゆっくり待っていればいい。

 

待ち合わせ場所を

間違えているのなら、

理想が待つ場所へ移動すればいい。

 

それだけのことで。

焦ることなんて何一つない。

 

いまがまだ、そうではない、

というだけのこと。

 

何度でも言おう、

焦ることは、なにもない。

 

理想があって、

その状態に自分が在り続ければ、

必ずそうなる。

 

だから、ぼくよ。

あっせんなよ。

大丈夫だから。

 

○お知らせ その1○

固定概念を手放して人生を楽に楽しく先読みする速読

『楽読』の体験会はこちらから
https://rth.co.jp/access/yaesu/seminar

 

○お知らせ その2○

9月24日、

宇宙の法則を活かして、

より豊かな人生を送るためのカリキュラム

「リターンスクール」体験会をやります。

 

ご興味ある方は、

個別メッセージorメールでご連絡くださいね。

 

手放す

f:id:abenob2010:20180902124554j:image

 

握りしめていたものを、

手放す。

 

あきらめるでも、捨てるでもなく。

ただ、手放す。

 

こうに違いない、

こうであってほしいと思うものを

静かに手放す。

 

握りしめているということは

それだけ大切で、必要で

自分が失いたくないもので。

 

でも、だ。

握りしめているうちは、

そこにこだわりが生まれる。

 

それは良いでも悪いでもなく。

 

握りしめ続けるのも良い。

そこにこだわり続けるのも良い。

 

ただ、握りしめているうちは、

そこに留まり続ける。

 

それも、決して悪いことじゃない。

それを望むか、望まないかだけで。

 

ロッククライミング

ボルダリングのように。

 

手を離さないと、

次に進めないこともある。

 

そんなことを考えている。

 

手放すには、勇氣がいる。

 

大切に大切に握りしめていたもので

想いがあればあるほどに、

手放すことに躊躇が生まれる。

 

光と闇。

喜びと悲しみ。

嬉しさと悔しさ。

希望と絶望。

「ある」と「ない」。

 

そうなれば、そうなっただし、

そうならなければ、そうではない。

 

両方ある。

 

そう、両方ある。

どちらかでなければならない、

なんてことは、ない。

 

ようやく、その境地に

至れたような氣持ちでいる。

 

もう一度言うけれど、

あきらめるでも、捨てるでもなく。

 

握りしめていたものを、

手放す。

 

勇氣と感謝と

心の底からの愛と共に

手放す。

 

そして、次のステップへ進む。

 

誰かに何かを伝えたいとか

そんなんじゃなく。

自分の整理のためのブログ。

 

読んでくださって、ありがとうございます。

 

○お知らせ その1○

固定概念を手放して人生を楽に楽しく先読みする速読

『楽読』の体験会はこちらから
https://rth.co.jp/access/yaesu/seminar

 

○お知らせ その2○

9月4日 19時~

宇宙の法則を活かして、

より豊かな人生を送るためのカリキュラム

「リターンスクール」体験会をやります。

 

ご興味ある方は、

個別メッセージorメールでご連絡くださいね。

寂しさ

f:id:abenob2010:20180831102211j:image

 

寂しかったんだな、と

ここにきて急に思った。

 

そうか、ぼくは寂しさを埋めようと

していたのかもしれない、と、

何だか妙に腑に落ちてしまった。

 

ぼくには

大切な仲間がいて、

友人もいる。

 

寂しさを感じることなんて

ありえないと思っていた。

あるいは、あってはいけない、とも。

 

でも、心のどこかに、

寂しさがあるのだと、

いまはわかるし、認められる。

 

全ては認めるところから始まる、

と最近特に感じている。

 

ネガティブな感情は特に。

認めずに蓋をすると、

大概良いことにはならない。

 

ぼくはこのところ、

寂しいとか、哀しいとか、

辛いとか、苦しいとか。

 

そういう感情を認めずに、

どこかでそういう自分に

バツを付けていた、と思う。

 

嫉妬もそう。悔しさもそう。

劣等感もそうだし、欠乏感もそう。

認めてほしい、褒めてほしいもある。

 

そういうものを感じてはいけない、

というか、そういうものはない、と

思い込もうとしていた感じがある。

 

いま自分を振り返ってみると、

それは要するに、そういう感情を

認めていなかった、

ということだとわかる。

 

と、こんなことをブログに書くぼくは

かなりの構ってちゃんだし、

寂しがり屋なのだなとも思う。

 

それも認める。

 

大切なのは、その感情をどう取り扱うか。

 

そういうもろもろは、

誰かが解消してくれるものじゃない。

と、いまは腑に落ちている。

 

自分が自分を認め、許し、

大切にし、尊重し。

 

ひとに嫉妬している自分も、

力不足で、何もできなくて悔しい自分も、

思うようにならなくて辛い自分も、

腹黒い自分も。

 

まずは認めて、許すこと。

そして、さらに理想に近付くために

いまを全力で生きること。

 

自分に正直になること。

自分の感情を解放すること。

自分で自分の寂しさを埋めること。

 

矢印を、改めて自分に向ける。

ここからしか、

何も始まらないんだろう。

 

むしろ、ここから始める。

 

自分の機嫌を自分でとる。

自分で自分を最高に大切にする。

 

だからこそ、

大切なひとたちを大切にできる。

 

いつもありがとうございます。

 

○お知らせ その1○

固定概念を手放して人生を楽に楽しく先読みする速読

『楽読』の体験会はこちらから
https://rth.co.jp/access/yaesu/seminar

 

○お知らせ その2○

9月4日 19時~

宇宙の法則を活かして、

より豊かな人生を送るためのカリキュラム

「リターンスクール」の体験会をやります。

 

ご興味ある方は、

個別メッセージorメール

またはコメント欄でご連絡くださいね。