一見真逆に見えるけども、実はそうでもないこと

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友だちが「好きなことだけをする罠」について、Facebookで書いていた。すげー分かりやすかったので、パクる(堂々と)。まあ、その友だちも、友だちから聞いたみたいだから、良いだろう(良くはない)。

 

例えば、旅行に行くとする。スゲー楽しみ。でも、荷造りは面倒。だけど、よくよく考えると(考えなくても)、荷造りももはや旅の一部であって、氣付くとワクワクしながら荷造りしてる自分がいたりする。うん。そういうことあるね。

 

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部下の指導と「自責」で捉えること

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さて、今回は宣言通り、マサルさんにお誘いいただいたイベント「YeLL Dialogue Night」について書こうと思う。

 

よし!宣言通り!!エライ!エライぞオレ!!←ハードル低すぎ

 

オトナなマサルさんと、大人向けなイベント

マサルさんと僕は、共通の知人を通じて知り合った。初対面の時は正直「年上?」と思ったんだけど、それはどうやら彼が落ち着いていてオトナなだけだったみたい。うん。その印象は今もあんまり変わらない。

 

で、マサルさんが関わってるYeLL(エール)株式会社が主催するイベントが「YeLL Dialogue Night」。そもそも組織コンサルとかそういう感じの業容(で、正しい?)の会社なので、イベントの内容も組織内の人間関係等に関するものになる。

 

今回のテーマは「最新の組織論と事例をヒントに、部下の主体性の引き出し方を磨こう」。ふむ。僕には部下なんていないし、部下の主体性の引き出し方なんて磨いたところで、使い道はない(笑)。

 

でも、マサルさんのブログが面白くてコメントしているうち、「このブログに興味あるなら、たぶん面白いと思うんで、ぜひ来てください!」とお誘いを受けたので、行ってきました。

 

結果、めちゃんこ面白かった(笑)。

 

部下のマネジメントを取り巻く環境は、変化している

まず、共通見解として持っておく必要があるのは、時代は変わっていて、旧態依然とした部下マネジメントの手法は、既に通用しないってこと。第一、昔はスマホSNSもなかったわけで、大学を出た同級生が今、どんな仕事をしているかなんて、たまに集まった飲み会で知るくらいしかない。なのに今は、それを知ってるのがフツーになりつつある。

 

また、入社する側としても、ベンチャーに入社する、起業するなんてのも、一昔前は珍しい選択肢だった。でも、今やベンチャーで若くして取締役になってみたり、起業して社長になって、悠々自適な生活なんてことが普通にある。んで、大学時代の同級生がそんな状態になってるのをSNSで目の当たりにしちゃったりして「オレの人生、これで良いのかな」なんて思ったりすることもある。まー、今の時代のあるあるだよねと。

 

しかも、大企業だと上が詰まってる。20代のすぐ上の上司が40代なんてザラで、40半ばになってもヒラ、なんてこともある。オイ、誰が万年ヒラ社員じゃ!(被害妄想)。

 

てなわけで、部下を持つ上司としては、非常に部下のマネジメントが難しい時代に入りつつあるよー、という大前提の共有からスタート。うむ。わかる。わかりやすい。

 

人間は感情で動きやすい動物である、ということ

その上で、部下にどう動いてもらうのがベストか。そこで出てくるのが「人間は情動・感情から意思決定して行動することが多い」というお話。決して損得や理論・理屈(だけ)で動くもんじゃない、と。

 

しかも、最初に与える印象が「恐怖」か「安心」かで、相手の動きが変わる、という。お察しの通り、最初に「恐怖」を与えてしまうと、自主性もへったくれもない。その先には、何もない。だから、「若手にナメられないように、最初にビビらせておくんだよ」的、野球部的マネジメントからは何にもプラスのものは生まれないということだ。へーへー。

 

この辺の話はちょいと端折るけど、「予測と刺激のギャップ」があればあるほど、わかりやすく言うと「驚き」があると、人は行動に移りやすいらしい。だから、定例会議が眠たくなるのは当たり前。だって、同じような報告を毎回同じ人が、同じトーンで話すんだもの。そりゃ予測通り過ぎてつまらんし、行動にも反映されない。そこに「驚き」が加わると、人は動く。マーケティングにも通じるものがあるかもねー。

 

感情・認識・仕事の意欲はつながっている

んで、面白かったのは「Innner Work Life」という考え方。要は「感情」・「認識」・「仕事の意欲」はつながってるよ、という考え方。しかも、同じ刺激が加わっても、人によってその作用は大きく異なる。

 

例えば、上司から仕事の指示として「何してもいいよ」と言われたとき。

 

Aさんは「マジすか!何しても良いんだ!」と、ワクワクして仕事に臨む。「何をしてもOK!」という認識をして、「楽しい!自由!」という感情を味わって、仕事の意欲がアップする。

 

一方、Bさんは「マジすか!何したらいいんだろう?」と、困ってしまう。「明確な指示がない」という認識をして、「うわー困ったな・・・」という感情を味わい、仕事の意欲が減退する。

 

同じ働きかけ、刺激を受けても、受け手によってその作用が異なるんである。

 

そして、全てつながっている

「部下が自主性を発揮してくれない」と上司が嘆くとき、それはたいてい上司が(意識的にしろ、無意識的にしろ)部下の自主性を摘んでしまっていることが多い、という。

 

例えば、「Aはあれだけ頑張ってるんだから、お前も頑張れよ」という上司からの一言を、Bさんが「激励」と取るか「Dis」と取るかは、Bさんの性格や過去からの蓄積データによる、らしい。

 

となると、部下が自主性を発揮してくれないのは、他ならない自分の責任かもしれない、と上司が受け止める必要が出てくる。「自分だったら、激励だと思うんだけど」ってのは、極めてキケンだ。上司が「激励!」と思って発している言葉が、部下には「叱責」、「嫌味」に聞こえている可能性だってあるわけだ。

 

これはもう、ある意味「自責」の世界だ。部下が自主性を発揮しないのは、自分がそういう部下を作り出している、と真剣に思えるか。そして、どういうアプローチを採れば、部下が自主性を発揮して動いてくれるのかを考える。

 

同じようなことは、仕事の進め方を説明する時にも出てくる。「A→B→C」という仕事のプロセスは、その仕事に熟練した人なら当たり前すぎて説明する必要すらないかもしれない。あるいは、営業活動をする中で「この客はもう暖まってる」とか「この客はもう少し寝かした方が良い」みたいな頃合いを計るのは、実は経験則だったりすることもある。

 

それを「そんなの当たり前でしょ」、「見ればわかるでしょ」で済ませてしまうのは、あまりに厳し過ぎる。「部下が仕事をできないのは、自分の指導がわかりにくいせいかもしれない」と思えば、「何がわからないのか」、「どこでつまづいているのか」という現在地を把握することから始める必要が出てくる。

 

と考えると、今僕がやっている楽読のメソッドというかプロセスと極めて似たものが出てきてしまう。現在地を確認して、どうすればゴールに到達できるかを考えて、共に進む。

 

「いいからやれよ」、「やってるうちにわかってくる」、「仕事は盗んで覚えろ」的なマネジメントからは、そろそろ脱却する時期なのかもしれないなあ、と思った今日この頃。いやー、面白かったし参考になった。マサルさん、ありがとう!!!

『字源の世界』を知る

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最近、インプットの機会が多い。意識的に増やしているのもあるけれど、人からお誘いを受けることも多いし、「これは何か面白げ」と、自分のアンテナが反応することも増えた氣がする。

 

なので、色々インプットしたことのアウトプットもしたいのだけれど、追いついてない(笑)。しかも、途中で竹原ピストル愛を語り始めちゃったりするもんだから、余計追いつかない。

 

とりあえず、今回は直近で参加してきた「字源の世界」について書きたい。今後の予定としては、友人であり、とても素晴らしいブログを書いてくれているマサルさんにお誘いいただいたイベント「YeLL Dialogue Night」についてと、僕が敬愛する惣士郎さんのセミナーに参加してきた話を書きたいなと思っている。

 

宣言すりゃ書くだろ、的な感じで自分にプレッシャーをかける(笑)

 

書道家・遠藤夕幻という男

僕の友人に遠藤夕幻という書道家がいる。知り合って1年くらいなのだけれど、人との境界線を割とはっきり引きがちな僕にしては珍しく、初対面からあまり他人という感じがしない存在である。

 

ついでに言うと、お互いがお互いの家に行ったことがあるという点でも、割と珍しい存在ではある(笑)。

 

さて。その彼が登壇(というのかな)するイベントが、今回のテーマである「字源の世界」だ。読んで字のごとく、文字の根源を探って、その意味を改めて知ろうじゃないか、という目的のイベントである。

 

生粋の漢字マニア、夕幻

このイベントに参加して思ったのは、夕幻という男が漢字愛にあふれた男であるということだった。白川静さんという研究家がまとめ上げた「字統」という辞書を使って、甲骨文字から篆書などを経て現在の漢字に至るまでの変遷を見ていく。

 

そもそも、その情熱がスゴイ。僕ならここまで追っかけるだけでヘロヘロになる、というかイヤになる(笑)。

 

それを夕幻くんは硬軟織り交ぜつつ、マンガ(大のマンガ好きでもある)ネタなども織り交ぜつつ、実にわかりやすく説明をしてくれる。

 

例えば「雷」。なぜ「雨+田」で稲妻になるのか、確かにずっとピンと来ていなかったのだけれど、どうやらここでの「田」は田んぼではなくて、象形文字的に「太鼓」を指しているらしい。

 

つまり、太古の昔、人々は雷は雷神さんが太鼓を鳴らしているイメージをしていた、というわけ。そう聞くと、ははあなるほど、となる。

 

甲骨文字は象形文字の一種だから、形で意味をあらわす。そんなわけで、「雨」から「巫」という文字が派生したりする。雨乞いを行うのは、巫女や巫覡(ふげき)と呼ばれる呪術者の役割だったからだ。それだけ、昔の人にとって「雨」というのは恵みであり、大切なものだった。

 

そう教えてもらえると、なるほどねー、にもなるし、とても納得がいく。

 

■てな具合に、昔の人々に思いを馳せる

そして、甲骨文字を使っていた人たちの時代背景を見てみると、その漢字がどういう意味を持っているのかが、より理解できるようになる。さらに、漢字(というか甲骨文字)に込められた意味が分かるようになってくる。

 

例えば、「祭」と「祀」の違いについて。確かに、両方「まつり」と読む。でも、この講座に来るまで考えたこともなかった。

 

夕幻くんの解説によれば、(端折るけど)「祭」は神様にお供え物を捧げているところを表現している。そして、ここで指す神様というのは主に「祖」、自分たちの祖先だったり、先達のことを指しているんじゃないかという。

 

一方、「祀」の方はしめすへんに「巳」と書く。巳は龍の化身であり、自然神、自然崇拝を表している。つまり、土地の神様に対する「まつり」を言い表しているのだと言う。なーる。

 

つまり、我々の祖先はもともと、「祖」(自分たちの祖先や先達)を神様として崇めると同時に、自然そのものにも神が宿っている、あるいは、自然そのものが神様として考えていたらしい。だからこそ、自然に対する畏怖の念があったし、自然の中で、自然と共生するという意識があったんじゃなかろうか、と思う。

 

単に漢字のお勉強というわけではなく、昔の人がどういう自然観・世界観を持ち、どんな社会で生きていたのかを、漢字の成り立ちを通じて学ぶ。そういう意味で、ホントに興味深いイベントでした。

「何のために」を考える

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こんなテーマのブログを以前にも書いたことがあるような氣がするけれど、構わず書く。なぜならば。改めてまた、このことが僕のテーマになりつつあると実感しているから。

 

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